日貞尼

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日貞尼(にっていに、生年未詳-天授4年7月20日(1378年8月13日))は、鎌倉時代から南北朝時代の日蓮宗の尼僧。号は妙林院。下総国(現在の千葉県)の出身。

大野領主、曾谷次郎兵衛尉教信(日礼)の娘で、佐倉城主千葉大隅守貞胤の妻となって芝崎夫人と呼ばれた。延慶2年(1309年)に夫が戦死すると平賀本土寺(千葉県松戸市)の日伝に師事して出家し、本土寺に平賀六郷の領地を寄進し堂宇を造営した。父と夫の菩提供養のため曾谷に礼林寺を建てて父の日礼を開山として自身は2世となった。