新居日薩(あらいにっさつ、天保元年旧暦12月26日(1831年2月8日)-1888年(明治21年)8月29日)は、幕末から明治時代の日蓮宗の僧。上野国山田郡桐生(現在の群馬県桐生市)出身。幼名は林之助、字は文嘉、号は文明院、容月。
金沢の立像寺の私塾充洽園で優陀那日輝に学んだ。東京市二本榎(現在の港区高輪)の日蓮宗宗教院(のちの大教院)を拠点に日蓮宗を公認させ、近代日蓮宗の基礎を築いた。明治7年、身延山久遠寺73世、日蓮宗一致派初代管長となり宗門の改革にあたった。福田会育児院を創設したことでも知られる。著作に『日蓮宗教義大意』などがある。