悪魔の詩訳者殺人事件

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悪魔の詩訳者殺人事件(あくまのうたやくしゃさつじんじけん)とは1991年に筑波大学において発生した未解決の殺人事件。2006年7月11日に真相不明のまま、公訴時効を迎えた。

概要[編集]

1991年7月11日、筑波大学助教授五十嵐一が大学構内のエレベーターホールで何者かに刺殺された。翌日7月12日に遺体となって発見された。現場は7階エレベーターホール前で清掃作業員によって発見されている。

その後の捜査で現場からは被害者とは違う血液型のO型の血痕が見つかったほか、サイズ27.5cmの中国製のカンフーシューズの足跡が見つかった。助教授の首筋には左側に二か所、右側に一か所の傷跡があった。胸と腹の三か所にも刺し傷があり、いずれも致命傷の大けがだった。首は、頸動脈、静動脈が切断されて切り落とされそうなほどであり、イスラム教のテロリストがよく使う手口だった。

イスラム教によるテロとの見方[編集]

1990年に五十嵐助教授がサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳していた。『悪魔の詩』はイスラム教の反感を呼び、イランの最高指導者「アーヤトッラー・ホメイニー」は「悪魔の詩」の作者を含めた関わりのある者に対する死刑宣告を出していた。そのため、特殊な殺し方も相まって、イスラム教によるテロとの見方があり、イラン革命政府との関係性が疑われている。

怨恨による犯行との見方[編集]

怨恨による犯行との見方もあり、助教授の交友関係などからの捜査もされた。

時効[編集]

2006年7月11日に公訴時効が成立し、迷宮入りした。2009年に警察から被害者の遺品が遺族に返還された。なお、外国人による犯行が取り沙汰されている本件は、犯人が国外に逃亡していた場合、まだ公訴時効は迎えていない。

事件への反応[編集]

  • 事件直後には、イラン反体制派組織「ムジャヒディン・ハルク」が犯行声明を発表した。イランの日刊紙サラームも、その死を歓迎している。
  • 時効と同時期の2006年に出版された『ザ・パージァン・パズル』でCIAの元職員ケネス・ポラックは、イスラム教徒の犯行であることを示唆している。

犯人は?[編集]

まだ逮捕されていない。

参考文献[編集]

  • 別冊宝島編集部 『未解決事件史』(2006年、宝島社文庫) ISBN 4-7966-5426-7

関連項目[編集]