巨尻

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巨尻(きょしり・きょじり)は、豊満に発達した女性の臀部、またはその所有者の女性。

なお、「巨尻」という熟語は『大漢和辞典』に採録されていない[1]。読み方も「きょしり」でいいのか、断言できる者はいない。

概要[編集]

臀部が後方に隆起するのは、主として大殿筋の形態にもとづく[2]。また、臀部の皮下脂肪は人体の他の部位に比べてよく発達する[3]

フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌが『降服』で詠い挙げた通り、性的嗜好としての一面も持つ。タイプとしてはブッシュマン(サン人)[4]などに見られる臀部が後ろに突き出した「補助椅子型」、臀部全体に満遍なく脂肪が付いている「半球型」、横に広がった「広域型」などがあるが、性的嗜好の対象として詩人や彫刻家、画家の嗜好対象となるのは総じて半球型の巨尻であった。

マリー・ド・メディシスが火付け役となり、貴族たちの間では尻用コルセット(フォー・キュ)が大流行するなど、18世紀前後の欧米社会においては、臀部の大きさは女性としての魅力に直結していた。ちなみにイギリスでは、1770年のロンドン議会で定められた法律として、「国王陛下の臣民を偽りの腰まわりによって誘惑し、結婚に至らしめた婦女は、魔法並びに詐術の廉により現行法で処罰するものとし、当該結婚を無効とする」なるものがある。

逸話[編集]

モンテスパン夫人の黒ミサ事件[編集]

モンテスパン夫人がフォンタンジュ嬢に対して魔女ラ・ヴォワザン、ギブール神父と共に行った黒ミサは、夫人のゆたかな尻の上だったとされている。

ギュスターヴ・クールベの作品『水浴する女たち』の逸話[編集]

ウジェニー・ド・モンティジョが、ローザ・ボヌールの作品『馬の市』を見た際、付き人がそこに描かれた馬を見て「尻の大きな馬はペルシュ地方の馬です」と解説した。その後、クールベの作品を見たウジェニー皇后は、そこに描かれた女性を見て、「この女性もペルシュ地方出身なの?」と問うたという。

ホッテントットのヴィーナス[編集]

19世紀、大きな尻をヨーロッパ中の見世物にされた、コイ族のサールタイ・バートマン。1815年に死亡。その特徴的な骨格は1974年まで人類博物館で展示され、長い間に収蔵されていたが、2002年、南アフリカ大統領ネルソン・マンデラの働きにより故郷ケープタウンに還された。

脚注[編集]

  1. 諸橋轍次 『大漢和辞典』巻四、大修館書店、1984年10月20日、修訂版第一刷。ISBN 4-469-03124-0
  2. Gerard J. Tortora 『トートラ解剖学』 小澤一史, 高田邦昭, 千田隆夫訳、2006年7月31日、402頁。ISBN 4-621-07729-5
  3. 『日本大百科全書』 小学館、1986年11月1日、初版第一刷、352頁。ISBN 4-09-526012-2
  4. 脂臀と呼ばれるほど有名

参考文献[編集]

  • 『でぶ大全』(ジャン・フェクサス著)