崇義夫人

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

崇義夫人あるいは王氏 (すうぎふじん、あるいは、おうし、生没年不詳)は、の建国期を生きた女性である。魏衡の妻。反乱軍に捕らえられ、敵の妻となることを強要された。

生涯[編集]

賊に犯される[編集]

王氏は梓州の出身だった。梁郡の城を守る魏衡の妻となった。しかし、武徳年間の初め頃、薛仁杲の部将だった房企地が残党を率いて蜂起し、梁郡で略奪を行った。そこで王氏は捕らえられてしまう。王氏は房企地に襲われ、性奴隷とされてしまった。

房企地の勢力はますます盛んになり、魏衡もやむなく開城して賊に加わろうと考えた。企地は梁郡の多くを支配するようになり、城に迫った。

復讐[編集]

ある日、陣中で酒に酔った企地は、野外で王氏に性交を強要していたが、やがて眠ってしまった。王氏はここで大胆な行動に出る。企地の佩刀をそっと抜くと、その刀で企地の首を斬ってしまったのだった。

王氏は陣中から逃亡し、企地の首を掲げて城に入った。統率者を失った賊軍は散り散りとなった。唐の高祖李淵は大いに喜び、詔を出して王氏に「崇義夫人」の称号を与えた。また、反乱に加わろうとしていた魏衡の罪も許された。

こうして王氏は自身を強姦した男に復讐し、国の安寧にも貢献したのである。

参考文献[編集]