屏風坂 (上野)
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屏風坂(びょうぶざか)はかってあった東京都台東区上野公園からJR上野駅及びJR線路側へ下る坂。
沿革[編集]
「上野の山」の標高は12~19mで、台地下の標高は3~5mのため、崖の東側斜面と下寺通りを結ぶ車坂、屏風坂、信濃坂の三本の坂があった。 慈眼堂(現・開山堂・両大師)と福聚院(現・日本学士院)の間を下寺通りといい、宝勝院前(現・両大師橋)へ下る坂である。
上野駅造成の際に山が切り崩され、その後の線路数の増設に伴って崖際がさらに削られ、昭和7年ころ屏風坂は消滅した[1]。
明治40年刊の『東京案内』の「上野公園の図」に屏風坂の記載があり、切り通しと推察される。明治40年から昭和7年ころの間に屏風坂は消滅した<ref>大石学(2007)『坂の町・江戸東京を歩く』PHP研究所。江戸時代の三年坂は桜の名所であった。1735年(享保20年)の『続江戸砂子』に桜の名所として、挙げられており、慈眼大師が吉野の櫻木を植えたと記載されている。
絵のよふに 櫻の咲た 屏風坂 三松(俳風柳多留)
参考文献[編集]
- ↑ 道家剛三郎(2001)『東京の坂風情』東京図書出版会