富田昌子

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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富田 昌子は、謎に包まれた昭和初期の一般女学生。「死の立会人」。

概要[編集]

昭和初期は、若者のあいだで理由不明瞭・叙情的な自殺が流行した暗い時代であった。

昭和8年2月11日、実践女学校専門部の2年生・松本貴代子(享年21)は、父親に「三原山の煙るを見たら、私の位牌と思ってください」という言葉を残し、親友の富田昌子に自殺を見届けてくれるよう頼んで、船で伊豆大島へ向かった。2月12日、三原山の火口に到着。富田は「思い直せ」と言ったが、松本は遺書を渡し火口に投身自殺した。富田は錯乱し、火口周辺を泣き叫びながらさまよい歩き、地元住民によって保護された。

富田は、松本の自殺のことを周囲の人々に話し、それに共鳴した女性達の自殺をも同じように見届けた。また、昌子は、松本の自殺の1か月前にも、他の女性の自殺に同行していたという。

彼女は「死の立会人」として、マスコミの間でセンセーショナルに報じられ、「変人」「狂人」「死神」と罵られた。やがて精神に異常を来たし、4月29日、埼玉の実家でひとり亡くなった。自殺か病死か、はっきりしていない。

高橋たか子の小説『誘惑者』に登場する鳥居哲代は、富田昌子をモデルにしていると思われる。