利用者:まるゆ/51号格納施設

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ごめん、別のタクスでちょっと完成させられそうにない、参考文献の三冊+月間航空趣味誌のF-15特集号(出来れば2010年代の号で)3~5冊準備できる方の援助を求む。


マクドネル・ダグラス F-15 イーグルは、アメリカのマクドネル・ダグラス社がアメリカ空軍の要求に応じて開発した航空機で、空対空戦闘を主目的とした航空機である。


エルメンドルフ空軍基地から離陸する、アメリカ空軍のF-15C

概要[編集]

1950年代後半から、アメリカ空軍のファイターマフィアによって指摘されていた、アメリカ空軍が戦略爆撃機とミサイルを重視し、古典的な機銃を用意た空対空戦闘を軽視した装備更新政策により、ソビエト製やフランス製戦闘機を保有する非友好国との紛争で、アメリカ空軍が航空戦に勝てないのではと言う懸念から開発が始まった制空戦闘機。

機体外形は、超音速戦闘機としては緩い角度の後退角の付いた大型の主翼と二枚の垂直尾翼、機首から盛り上がった大型キャノピーが外形の特徴。

開発当初は、制空専用で機体価格が高価であったことに加え、安価で潰しの利くF-16やF/A-18が開発されたことによって、純制空戦闘機型の導入国は、アメリカ本国とイスラエル、サウジアラビアや日本の様な親米かつ経済的に豊かな国家でしか採用されなかった。

アメリカ空軍のF-15戦闘機としての開発経史[編集]

1949年にソビエトが実行したRDS-1(ソビエト初の核実験)と、第二次世界大戦末期の日本本土空襲の際に、日本軍による攻撃が原因の損傷や機械的なトラブルでソビエト極東地域に不時着したB-29をコピーしたTu4の配備以降取りざたされるようになったボマーギャップ論争と、第二次台湾海峡危機のさなかの1958年9月24日に発生した航空戦で、アメリカの支援を受けた中華民国空軍の手によって、実用空対空ミサイルのAIM-9が始めて実践投入され、中国空軍のMig15を相手に一方的な戦果を上げたことが、元はF-86後継の制空戦闘機として開発されたF-100の戦術爆撃機化やF-104の半自動式防空管制組織(SAGE)非適合を口実とした戦術空軍からの早期退役に代表されるミサイル万能論―ー戦闘機はミサイルと核爆弾をぶん投げればいいが蔓延する一因となった。

三大国家による終わりの見えない戦争を背景にブックブラザーの権威と愛情省による弾圧、もとい米ソの核軍拡を背景に戦略核を頂点とした全面核戦争しか見てない当時のアメリカ空軍の方向性に異議を唱えるかくも少なき人々―ージョン・ボイドを始めとするファイターマフィアの面々は、1950年代後半からドッグファイトで他国の戦闘機を落とせる新世代の制空戦闘機の必要を訴えていたが、ケネディ政権の国防長官ロバート・マクナマラは、小規模紛争から全面核戦争に対応できる軍備を実現するために、戦闘機をF-105と後にF-111として配備されることになる多用途戦闘機TFXの二機種に集約することを決定し、TFX就役まで本土防空のギャップを埋める存在として、海軍主導で開発されていたF-4をF-110として採用する決定を行った。

しかし、多用途戦闘機TFXがFナンバーを付けただけの鈍重な小型爆撃機であることを見抜いていた戦術航空コマンドは、カーチス・メイルの退役による戦略航空軍団の政治的弱体化と、トンキン湾事件とその報復爆撃の際にF-105が旧式のMig19の奇襲によって撃墜された一件による混乱のさなかに、ファイターマフィア一味の主張に沿った新戦闘機の設計案募集を行ったが、ベトナム戦争への本格的な介入で、増額された軍事費が官僚機構の海を漂う間に、航空機メーカー好みの大型で高度な電子機器を搭載し、可変翼を備えたちょっと動けるようになった多用途戦闘機TFXと言うべき代物になってしまった。アメリカ空軍の技術開発をつかさどっていた空軍システム軍団は、エネルギー機動性理論と言う楽しげなおもちゃを手に入れ、制空戦闘の権威となっていたジョン・ボイドらファイターマフィア一味を招集し、ぶくぶく太った27トン級の多用途戦闘機を当初の要求に沿った16トンの制空戦闘機に回帰させることを命じたが、モスクワ近郊でこの状況を一変させた事件が発生したことで、時流に乗れた一部を除く航空機メーカーもファイターマフィアも満足しない、世代最強の制空戦闘機が誕生することになった。

1967年7月に、モスクワ郊外のドモジェドヴォ空港でプロパガンダ目的に開催された開催されたモスクワ・エアーショーに、Mig23やSu15と言った開発途上の軍用機を多数出展し、西側の軍事関係者にこれらの航空機が就役間近であると錯覚させることに成功した。 当時、ベトナムでの航空戦の状況は思わしくなく、ショーで登場したソビエト製軍用機の数々がベトナムへ投入された場合、かつての悪夢、太平洋戦争初期の零戦の前に手足が出せなかったあの暗黒時代の再来を予感させるものであった。

これら新世代の航空機の中で特に警戒されたのが、後に日本への亡命事件で化けの皮がはがれたかのように喧伝されているMig25で、SR-71の撃墜を目的に開発されたソビエト伝統の空飛ぶ対空陣地とも言うべき戦闘機であったが、アメリカ空軍はこの機体の開発目的を知りつつ、あたかも戦場で制空権を取るために開発されたすごい制空戦闘機として扱い、空軍システム軍団とファイターマフィアが画策した白昼制空戦闘機に視界外交戦能力を盛り込むことに成功したが、このことが価格の高騰と配備数の減少につながり、ファイターマフィアと国務省が画策したFXXと呼ばれるプランB、のちのF-16やF/A-18へとつながった。

マクドネルダグラス F-15 イーグルとしての開発史[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

脚注
出典
参考文献
  • 世界の名機シリーズ F-15 イーグル (イカロス・ムック 世界の名機シリーズ)
  • F-15イーグル―世界最強の制空戦闘機 (メカニックブックス (10))
  • F-15 完全マニュアル