中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合

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中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(ちゅうぜつきんしほうにはんたいしピルかいきんをようきゅうするじょせいかいほうれんごう)とは、中絶禁止法反対とピル解禁を主な目的として設立された女性グループのことである。略称は中ピ連(ちゅうピれん)[1]

概要[編集]

昭和47年(1972年)の国会に上程された優生保護法改定案に反対するリブ運動の過程で、榎美沙子らは「産む産まないの選択は女性の権利」と主張して、中ピ連を設立した。女性の身体と避妊に関するセミナーを開催し、女性のためのクリニック構想づくりなどを開始した。やがてミス・インターナショナル・コンテスト(ミス・コンテスト)反対など活動範囲を拡大し、中ピ連が主体となって昭和49年(1974年)に女を泣き寝入りさせない会を組織した。ピンクヘルメット覆面などがマスコミの注目の的となり、次々に話題を提供したが、アイディア倒れで運動が拡大せず、逆に内部から榎に対する指導体制への批判も出だした。昭和52年(1977年)、参議院選挙の折に女性党を組織して惨敗したのを契機に解散した[1]

脚注[編集]

  1. a b 「岩波・女性学事典」(岩波書店。井上輝子ほか。2002年)P341

関連項目[編集]