ヴルコラカス
ヴルコラカスとは「狼の毛皮を着たもの」の意。ドイツ語では「ヴェアヴォルフ」、英語では「ワーウルフ」という。
「冥府と現世を往来できるもの」としては、「狼」「熊」「虎」が信じられており、「冥府と現世を往来できる者」は着衣として狼や虎の毛皮を着用している。日本でも、鬼は虎皮の褌をしている。
有名な産地はサントリーニ島(テラ島)であり、「サントリーニにヴルコラカスを連れてゆく」は「ニューカッスルに石炭を持ってゆく」とともに成句となっている。お歳暮に「和歌山県人に蜜柑を贈る」「静岡県人にお茶を贈る」「(東京都大田区の)大森の住民に海苔を贈る」ような感じではないかと思われる。
いわゆる吸血鬼や狼男はヴルコラカスの系統に属す。また、「傭兵」の意味もあるらしく、グリム童話の「熊の毛皮を着た男」はこの系統である。いわゆるナチス・ドイツにおいて組織された“ヴェーアウォルフ・トルッペ(人狼部隊)”もこのあたりに由来すると思われる。
概要[編集]
「屍体が腐らない」「魂魄がこの世に留まっている」といった伝承があるため、火山地帯に多いとされる。有名な産地はサントリーニ島(テラ島)であり、「サントリーニにヴルコラカスを連れてゆく」は「ニューカッスルに石炭を持ってゆく」とともに成句となっている[1]。
基本的には幻影(幻覚)であるため、「日光を受けても影ができない」「鏡に映らない」ことから、吸血鬼にかかわる各種の伝承につながった。当たり前の話だが、当然写真にも映らないはずなので、「写るはずのないはずのものが写っている」のは心霊写真ではなく多重露出か合成写真であり、「写っているはずのものが写っていない」のが本来の心霊写真である。
吸血鬼とされるが、古くは「人間の精気を吸いとる」ものとされ、いわゆる「夢魔」「インクブス」「スキュバス」なども同類であり、「血が水のようになって死ぬ」という伝承につながった。キリスト教の誕生以前からあるため、ややこしい伝承関係があり、整理するといろいろと大変なことになる。「影ができない」のは「日光に弱い」という伝承につながったが、これは「イエス・キリストは太陽神アポロンが垂迹したものだ」という創作によるものであり、「十字架に弱い」というのも「十字架」が「杭(スタウロス)」の意に由来し、「屍体が腐らない」から「屍がどこかにあるはずだ」「たぶん昼間な棺桶の中で眠っているのだろう」「だったらその屍を見つけて、首を切り離すとか心臓に杭を打つとかすれば退治できるんじゃないだろうか」という話になったらしい。「銀の十字架を溶かして作った銀の弾丸で心臓を打ち抜くと死ぬ」というのも、このあたりに由来するらしいが、ヴルコラカスはもう死んでいるので死なない。
「狼男は満月の光を受けると変身する」という話あたりになると、かつては安息日(サバト)が金曜日の日没から土曜の日没までに相当したため、そのあたりの満月の夜に集会が行われたことによるため、ルネッサンス期になってから成立した話であると推定される。
クェンティン・タランティーノ監督の映画『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(「夜通し」。「日没から夜明けまで」の意)の読み筋はこのあたりである。
参考文献[編集]
- 『人月の神話 ― 狼人間を倒す銀の弾丸はない』
- 小泉八雲『怪談』
脚注[編集]
- ↑ お歳暮に「和歌山県人に蜜柑を贈る」「静岡県人にお茶を贈る」「北海道民にジャガイモを贈る」「(東京都大田区の)大森の住民に海苔を贈る」(地域内では特に問題はない。大森では、海苔は地域通貨のようなものである)ような感じではないかと思われる。