リリア・ダルボーレ

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リリア・ダルボーレ(Lilia d'Albore, 1911年1月4日 - 1988年8月21日)は、イタリアヴァイオリン奏者。本名はエミリア・ダルボーレ(Emilia d'Albore)。[1][2]

サンタ・マリーア・カープア・ヴェーテレの出身。ローマ聖チェチーリア音楽院でジョアキーノ・ミケーリにヴァイオリン、アルド・ペリーニにヴィオラをそれぞれ師事。1929年に卒業後、1931年までドイツにいたカール・フレッシュの許で研鑽を積んだ。1940年代から1950年代までにフーベルト・ギーゼンやゲーザ・フリードをピアノ伴奏に立ててドイツ・グラモフォンにいくらかの録音を残している。1955年から1961年までコンプレッソ・ディ・ソリスティ・アントニオ・ヴィヴァルディのソリストを務め、1959年から1966年までピアノ奏者のジェルマーノ・アルナルディとチェロ奏者のアントニオ・サルダレッリとでローマ三重奏団を結成して室内楽の分野でも活動した。

1941年からナポリ音楽院、1943年から母校のローマ聖チェチーリア音楽院で教鞭をとり、ヨーロッパ弦楽器教育者協会イタリア支部長の座をアリーゴ・ペリッチャから引き継いだ[3]。1983年にイタリア共和国功労騎士勲章を受勲。

グロッタフェッラータにて没。

脚注[編集]

  1. アーカイブ 2015年9月15日 - ウェイバックマシン
  2. Mono & Stereo © 2021: Rarest Lilia d'Albore German Radio Recording”. melo Classics. 2021年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月4日確認。
  3. Camera di Commercio di Cremona - Rassegna Nazionale dei Giovani Strumentisti ad Arco a Cremona”. 2021年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月4日確認。