ライウス・コンプレックス
ライウス・コンプレックス (Laius Complex) とは、父親が息子に対して感じる不安と殺人衝動のこと。1982年に精神分析家ジョン・マンダー・ロス(John Munder Ross)が提唱した。[1]
概要[編集]
周知のとおり、フロイトはソフォクレスの悲劇『オイディプス王』を元に「エディプス・コンプレックス」の概念を提唱している。フロイトは悲劇の後半部分のみに注目しているのだが、これは偶然ではなく物語前半に対する「否認」ではないか、と後世の一部の精神分析家たちは考えている。「ライウス・コンプレックス」は、息子オイディプス(エディプス)の側ではなく、父親ライウス(ライオス)の側に焦点を当てた読解(つまり、オイディプス出生以前=悲劇の前半の読解)から生まれた概念である。
物語の前半で、テーバイの王・ライウスは「生まれてくる息子に殺される」というデルポイの神託をうける。酒に酔ってつい性関係をもち、妻イオカステーとの間にできた息子エディプスは、キタロンの山麓に捨てられる。しかし、彼は羊飼いに助けられて生き延び、周知のとおり、のちに父を父と知らず殺し、母を母と知らず交わることになる。フロイトの読解では、父親の息子への恐れや子捨てのエピソードが大して重要視されていない。
フロイトの父親ヤコブは性に自堕落であった。母親アマリエの結婚と前後して、前妻レベッカがいなくなっており、フロイトの妊娠・出生は謎めいた家族関係に包まれている[2]。フロイトが、悪い父親像と謎めいた出生の秘密から目をそらした(否認)ために、『オイディプス王』の前半のストーリーが顧みられなかったのだ、という考察がありえる。
また、フロイトは弟子たちに家父長的態度をとり、多くの葛藤や仲違いを生んだことでも知られる。「弟子に着想を奪われ、自分の存在感が失われるのではないか」と怯え、支配力を強めようとしたフロイトの姿は、自身が「ライウス・コンプレックス」を体現していたともいえよう。
「ライウス・コンプレックス」の対になる概念として、母親が生まれてくる子供に恐怖を抱く「阿闍世コンプレックス」が挙げられる。ただし、阿闍世についての正しい伝承によれば、阿闍世に恐怖を抱いたのは母親・韋提希(いだいけ)ではなく、父親・頻婆娑羅(びんばしゃら)である。説話の正確性にのっとって比較すれば、オイディプスと阿闍世の話は大差ない。(「阿闍世コンプレックス」という表現は、あくまで一種のメタファーと捉えるべきであろう。)
参考文献[編集]
- 小此木啓吾『フロイト思想のキーワード』 2002年 (終章:裏から見たフロイト思想) ISBN 4-06-149585-2