ヨハンナ・マルツィ
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ヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy, 1924年10月26日[1] - 1979年8月13日[2])はルーマニア出身のヴァイオリン奏者。[3]
ティミショアラの出身。6歳の頃から地元のヴァイオリン教師であるヨーゼフ・ブランダイスにヴァイオリンを学ぶ。8歳の時にイェネー・フバイに才能を認められ、そのままリスト・フェレンツ音楽専門学校でフバイとフバイの助手だったナーンドル・ゾルトに師事。フバイとゾルトの死後はフェレンツ・ガブリエルのクラスに編入し、1942年に卒業した。1943年にウィレム・メンゲルベルクがブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団に客演した際にコンサート・デビューを果たした。1947年にジュネーヴ国際音楽コンクールで2位に入賞し、以後ヨーロッパ各地で演奏活動を展開して名声を確立した。1953年にはイギリス、1957年にはアメリカに足を延ばしている。1969年に肝炎を発症してからは次第に演奏活動が低迷し、1976年以降は公式の場で演奏していない。