ビューリーグ
ビューリーグ(Bew league)とはかつてミズノが販売していたブランドである。
発売当初はラベルが青かった事から「青ビュー」と呼ばれ、1996年にラベルが赤色に変わった時には「赤ビュー」とも呼ばれた。高校野球ファンの間ではかつて松坂大輔が高校時代に使用していた事からビューリーグ=松坂大輔と認知しているファンも多い(後述)。
販売開始[編集]
いつ販売されたかの情報は正確でないが、恐らく1990年代の前半には登場していたと思われる[1]。ビューリーグは低価格で初心者からアマチュアに向けて発売された。
販売時期[編集]
前述した通り当時のビッグmが青色であったために「青ビュー」とも呼ばれ、その上低価格で販売されていた為にアマチュア野球界での人気が爆発した。特に1996年のアトランタオリンピックでは野球、ソフトボール共にビューリーグを使用している選手が多かった。これはミズノが無理矢理日本中にビューリーグを広めようとしていたからだと言われている[2][3]。
1990年代はミズノプロに次いで人気であったが、2000年にビクトリーステージが登場すると、ランクがビクトリーステージの次へと下げられ、使用する選手が減ってしまった。硬式用のグローブは販売していたが、WBCで日本が優勝した2009年にグローバルエリートが発売されるとラングがまた下がってしまい、硬式用の販売を停止し、軟式用のグラブだけの販売となった。
その後も軟式用だけ販売を続けていたが、2010年代に製造を停止した。
なぜビューリーグ=松坂大輔か[編集]
ここではビューリーグのイメージがなぜ松坂大輔なのかについて解説する。高校時代の1998年のセンバツで140km/h後半の速球を連発し、注目を浴びていた松坂は同年夏も出場し、1回戦の柳ヶ浦高校戦の4回から準々決勝のPL学園戦の2回に3点を奪われるまで25イニングス連続無失点、PL学園戦で延長17回を完投、翌日の明徳義塾戦では前日の疲れをものともしない投球を見せた。特に決勝戦の京都成章戦ではあの嶋清一以来59年振りの決勝戦ノーヒットノーランを達成し、その怪物ぶりを遺憾無く発揮した。そこで松坂が夏の大会で使っていたのがミズノのビューリーグであった事からビューリーグといえば松坂と言われるようになった[4]。