ネスト (ウェールズ王女)

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ネスト・フェルヒ・リース(Nest ferch Rhys、1085年 - ?)は、デハイバーズ王国(今のウェールズの一部)の王女。王女の身でありながら、強姦を受け妊娠したことでもっともよく知られている。「ウェールズのヘレン」とも呼ばれる美しい女性だった。

少女時代、そして結婚へ[編集]

王女ネスタとも呼ばれる彼女は、デハイバーズ王のリース・アプ・テューダーの唯一の嫡出の娘であった。父王がイングランドとの戦いで殺されると、1093年、8歳でイングランド王国に連れされる。

そこで客人として処遇されていた彼女だったが、あるとき、ヘンリー王子(のちのヘンリー1世)に犯される。その妾となった彼女は、1100年頃、つまり彼女が15歳のときに息子を生んでいる。これがネストの意に沿ったものだったかはわからないが、ヘンリーは父の敵の一族であるし、また拒否する余地はなかったであろう。

ところがヘンリー1世は王となると彼女を捨て、臣下のジェラルド・ドゥ・ウィンザー(Gerald de Windsor)と結婚させてしまう。1102年、すなわちネストが17歳のときだった。

強姦[編集]

しばらく平穏に暮らしていたネストだった。ジェラルドとのあいだには子も生まれ、貴族夫人として城に住んでいたようだ。

しかし、1109年、24歳のときに悲劇が襲う。ネストの従兄弟のオウイン・アプ・カドゥガン(Owain ap Cadwgan)がジェラルドの城を奪取、ネストを拘束してしまう。拘束されたネストはオウインに夫の居場所を尋ねられ、「あの人ならもう逃げたわ。あなたに捕まえることはできないの」と答えた。

激怒したオウインは、ネストを彼女の二人の子の眼前で押し倒すと、強引に犯してしまった。そのまま拉致されたネストはオウインの慰み者となり、LlywelynとEinionという二人の子を生んだ。数年間、彼の妾とされた後、解放されたが、1116年、オウインもジェラルドも相次いで死んでしまう。

その後、カーディガン城主スティーブンや州長官と結婚し、それぞれと子を儲けている。「ネストの子どもたち」と呼ばれるその子どもたちは、アイルランド征服の立役者となった者が多かった。

5人の男から17人もの子を孕まされた美女として、彼女は「ウェールズのヘレン」と呼ばれている。

さらに詳しく知るには[編集]

  • 吉賀憲夫『ウェールズ史の女性たち』