セイヤヌスの娘

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ルキウス・アエリウス・セイヤヌスの娘( – のむすめ、 16年31年10月)は、古代ローマの少女。有力政治家セイヤヌスの長女として育ったが、父が失脚すると強姦処刑された。史書に名前は記載されていないが、アエリウス氏族の娘であるため「アエリア」と呼ばれたと考えられる。

略歴[編集]

政治家の娘[編集]

騎士階級に生まれたセイヤヌスは有能な人物であり、皇帝アウグストゥスの後継者ティベリウスとも親しかった。14年、ティベリウスが皇帝となると、セイヤヌスはその親衛隊長官となる。アエリアはその二年後である14年に生まれた。

20年、4歳となったアエリアは、皇帝一族のクラウディウス・ドルススと婚約することとなる。しかし、直後にクラウディウス・ドルススが急死したため、この婚約は解消された。この頃からセイヤヌスは急速に権勢を拡大し、23年には対立する小ドルスス(皇帝の子)を暗殺した。30年にセイヤヌスは元老院議員、31年に執政官となる。セイヤヌスは次の皇帝となることを目論んだ。そうなれば、アエリアも皇帝の娘ということになる。

しかし、皇帝ティベリウスはかつてのようにセイヤヌスを信頼していなかった。31年の10月18日、ティベリウスの命を受けた一派が元老院でセイヤヌスを弾劾した。ティベリウスはなすすべもなく拘束され、すぐに絞殺された。死体は「阿鼻叫喚の石段」に投げ捨てられたという。

破滅[編集]

父の処刑の直後にアエリアと幼い弟も捕らえられ、牢獄に入れられた。弟は自らの身に迫る危機を察していたが、アエリアは事態を理解できず、また父が処刑されたことも知らなかったと考えられる。アエリアは看守の男に対し、「わたしたちがどんな悪いことをしたというのでしょうか? もし何かお仕置きをうけないことがあるのでしたら、わたしを鞭で打ってください。早くここから出してください!」と何度も頼んでいたという。

セイヤヌスの一族がすべて処刑されることはすでに決定されていたが、ただひとつ問題があった。それはアエリアは処女だったことである。アエリアはまだ15歳であり未婚だったから処女であるのは当然である。しかし、ローマでは処女神ウェスタに対する信仰が強く、処女を殺すことは前代未聞のことであり不吉なことだと考えられた。そこで人々は一計を案じた。処刑する前にアエリアを処女でなくしてしまえば良い。こうして、アエリアのいる牢を訪れた看守の男は少女を襲い、その純潔を踏みにじった。弟の目の前で幼い肢体を弄ばれたアエリアは破瓜の直後に絞殺された。この事件は、歴史家であるタキトゥススエトニウスによって記録されている。

脚注[編集]