ジュリオ・カピオッツォ

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ジュリオ・カピオッツォ(Giulio Capiozzo 1946年2月18日 - 2000年8月28日)はイタリア出身のドラマー。イタリア屈指のジャズロックバンド、アレアの創立メンバーとして知られる。

1976年ごろの写真。ジャズ的なレギュラー・グリップでスティックを握っているのが確認できる。

経歴[編集]

イタリアはチェゼナーティコ出身で、1960年代にエジプトの音楽院を卒業するとカイロのビートバンドに参加、初のレコーディングを行う。1972年にアレアを結成すると、ダイナミックかつ極めてテクニカルな卓越したプレイでバンドを支えた。1982年にアレアが活動を休止すると元々ジャズミュージシャンである彼はエルヴィン・ジョーンズらと共演したり、セッションミュージシャンとして生計を立てた。1980年代に彼はキューバの打楽器を学んだり、インドの打楽器奏者と共演するなど民俗音楽にも深い関心があったようだ。1987年にはAKAI楽器のデモ演奏のため来日しラフォーレ原宿で演奏した。

1997年にはファリセッリ、アレス・タヴォラッツィらとアレア名義でアルバムを発表し再結成ツアーを行うが、2000年にアレアの再結成後の方針を巡りパトリツィオ・ファリセッリと口論になった所で持病の心不全を起こし倒れ、そのままカピオッツォが帰らぬ人となったため再結成アレアは解散した。(のちにウォルター・パオリが加入し再再結成)毎年8月にはチェゼーナティコで彼の息子クリスティアン・カピオッツォ(彼もまたドラマーである)による追悼コンサートが行われている。

関連項目[編集]