エミュー戦争
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エミュー大戦争 The Great Emu War | |
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戦争: エミュー戦争 | |
年月日: 1932年11月2日から1932年12月10日 | |
場所: オーストラリアオーストラリア 西オーストラリア州 キャンピオン地区 | |
結果: エミューの戦術的勝利
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交戦勢力 | |
指揮官 | |
オーストラリア ジョージ・ピアース卿 オーストラリア国防大臣 オーストラリア G・P・W・メレディス少佐 |
作戦上、指導者なし |
戦力 | |
オーストラリア陸軍砲兵隊重砲兵第7中隊 3名 ルイス軽機関銃 2挺 弾薬 10,000発+ 現地住民 |
エミュー 約20,000羽 |
損害 | |
戦死 0名 弾薬10,000発以上使用 広面積の農地(のちに、キャンピオン地区は廃村となった) 尊厳[1] |
戦死 986羽 負傷 約2,500羽 |
エミュー戦争(エミューせんそう、The Emu War)、またはエミュー大戦争(エミューだいせんそう、The Great Emu War)[2] は、オーストラリア西オーストラリア州キャンピオン地区を跋扈しているというエミューの膨大な頭数についての人々の懸案に対処するため、1932年後半にかけて同国で着手された有害野生動物管理作戦である。オーストラリア固有の大型の飛べない鳥エミューの個体数を抑制するこの作戦には、機関銃で武装した兵士が動員されたため、メディアではこの出来事に言及する際「エミュー戦争」の名を採用するようになった。
ウィキペディア日本語版において[編集]
2021年6月9日、ある利用者の手によって記事冒頭に戦争や戦闘の情報を表示するためのテンプレート「Template:Battlebox」が貼付された。同年10月7日にTwitterにて話題になったのち、当該テンプレートが除去された状態で半保護となっている。
出典[編集]
- ↑ “Over the Speakers Chair”. The Canberra Times (Canberra, Australian Capital Territory). (1932年11月19日) 2010年1月10日閲覧。
- ↑ Shuttlesworth, Dorothy Edwards 『The Wildlife of Australia and New Zealand』 University of Michigan Press、1967年、69頁。