アルシーアル麻雀
アルシーアル麻雀または二十二麻雀(アルシーアルまーじゃん)は、麻雀のルール体系の一つである。大正期に日本に麻雀が伝来して以降、戦後しばらく行われていたルールである。文献で確認できるのは1929年(昭和4年)の『文藝春秋』で、アルシーアル麻雀を前提とした小説が掲載されていた。最低点のアガリ点の元が22符からなるためアルシーアル(中国語で22の意)と呼ばれる。20符底の麻雀という意味で、アルシャル麻雀ともいう。
アルシーアル麻雀は現在普及しているリーチ麻雀の原型にあたるルールであり、リーチ麻雀特有のさまざまな規則を含まない。役が少なく場に2翻(バンバン)がつかず立直やドラもないため点数が小さい。最高でも満貫点(荘家3000点、散家2000点)打ち切りで跳満以上はない。現在役満と呼ばれている役も満貫点(役満貫)である。散家満貫分(通常2000点)が持点かつ返し点である。
東場、南場、西場、北場の一荘戦。北四局でも流局でゲーム終了となる。流局した場合は常に親が下家へ移動する(流局は常に親流れ)。四風子連打、四槓、九種倒牌、三家和による流局はない。流局しても不聴罰符はない。連荘の積み場もない。槓子系の役がなくドラもないことから、槓は符が増える以外にメリットのないものとなっている。
一翻縛りがなく、和了形(4面子1雀頭または国士無双)にさえなれば和了できるため、散家の22符・0翻(役なし)の80点が最低のアガリ点となる。振聴でも現物以外ならロンできる。符の計算は四捨六入で行なうため複雑である。規定により1の位まで計算することや切り上げによることもある。
採用役[編集]
1956年(昭和31年)に発行された『麻雀の勝ち方』に収録された「日本麻雀連盟標準競技規程」に準拠[1]
1翻[編集]
- 役牌 - 三元牌・門風牌・圏風牌。連風牌は2翻
- 門前清模和
- 平和 - くいぴんあり。ロン和了に限る
- 対々和
- 混一色
- 混老頭 - 対々和が付くので実質2翻
- 断么九 - くいたんあり
- 全帯么 - 順子を少なくとも一組含むもの(混老頭との違いに注意)。なお、純全帯么と混全帯么の区別はまだない。
- 三暗刻
- 一気通貫
- 小三元 - 役牌が2翻付くので実質3翻
- 海底模月
- 搶槓
- 嶺上開花
立直・一盃口・河底撈魚・七対子・三色同順・三色同刻・三槓子などはまだない。ドラはまだない。
3翻[編集]
- 清一色 - 10符加符
役満貫[編集]
荘家3000点、散家2000点。緑一色・四槓子はまだない。
- 天和
- 地和
- 大三元
- 四喜和(大四喜・小四喜の区別はない)
- 字一色
- 清老頭
- 四暗刻
- 国士無双
- 九蓮宝燈 - 9面待ちでなくともよい
包則[編集]
原則として「副露した牌だけで満貫または4翻以上が確定する」とき、鳴かれることによりそれを確定させる牌を包牌とする[2]
二副露の包[編集]
- 三元牌2種を副露しているときは、残りの三元牌及び連風牌が包牌となる(大三元または4翻以上が確定するから)
- 三元牌1種および連風牌を副露しているときは、残りの三元牌が包牌となる(4翻以上が確定するから。以下、細かい説明は省略することがある)
数牌を含む三副露の包[編集]
- 翻牌2種および数牌1種の明刻、連風牌および数牌2種の明刻、連風牌・数牌1種および翻牌でない字牌を副露しているときは、翻牌が包牌となる(翻牌と対々和で4翻以上が確定するから)
- 三元牌1種・連風牌・数牌1種の明刻を副露しているときは、字牌が包牌となる(翻牌と対々和混一色で5翻以上が確定するから)
- 三元牌2種および順子1組を副露しているときは、残りの三元牌及び連風牌が包牌となる
- 三元牌1種・連風牌・順子1組を副露しているときは、残りの三元牌が包牌となる
- 三元牌1種および数牌2種の明刻、三元牌1種・数牌1種および翻牌でない字牌の明刻を副露しているときは、連風牌が包牌となる(翻牌と対々和で4翻以上が確定するから)
その後の展開[編集]
1953年(昭和28年)、報知新聞社が発表したいわゆる報知ルールが現在の立直麻雀の原型である。1957年現在、アルシーアル麻雀よりも広く行われている(以下、出典:[3])。
- 役は次の通り:[4]
- 平和(1)
- 対々和(2)
- 混一色(2)
- 混老頭(2)
- 三暗刻(2)
- 断么九(1)
- 一気通貫(1、門前2)
- 三色同順(1、門前2)
- 三色同刻(1、門前2)
- 小三元(2)
- 全帯么(1、門前2)
- 七対子(100符)
- 槍槓(1)
- 嶺上開花(1)
- 海底撈月(1)
- 清一色(4)
- 天和(満貫)
- 地和(満貫)
- 大三元(大満貫)
- 四喜和(大満貫)
- 字一色(大満貫)
- 清老頭(大満貫)
- 四暗刻(大満貫)
- 九連宝燈(倍満貫)
- 十三么九(大満貫)
- 1飜縛りはまだない
- いわゆる途中立直およびドラが公式に導入された。なお、1953年か1954年頃には現在のドラ牌ネクストのルールに移行している[5]。
- 5000点持ち
- 小満貫は子4000点、親6000点。大満貫は子6000点、親9000点。
1957年(昭和32年)に発表された「オール一飜縛り規程」、いわゆる東京ルールで1飜縛りが導入される。
1958年には報知ルールと東京ルールを統一した「統一ルール」が発表される。これと同一であるか不明であるが、1963年の書籍に「りいち・どら麻雀ルール」が掲載されている。
- 30000持ちの30000返し[6]
- くいぴんは、他の役と複合した場合のみ1翻[7]
- 小満貫は子4000、親6000。跳満・倍満あり。大満貫(役満)は子8000、親12000[8]
- 場ゾロの原型ともいえる「大場・小場」のルールが紹介されている(親決めの賽の目が奇数ならば小場で通常通り、偶数(ぞろ目除く)ならば大場で1翻増し、ぞろ目ならばゾロ場で2翻増し[9]。今でもメンタンピンドラドラゾロゾロなんて言いますね)
1967年に発表された「現代ルール」で場ゾロ・オカ(27000持ちの30000返し)が導入される。どうやらこの頃までにルールのインフレは完了したようだ。
1972年の段階で、少なくとも関東地方では立直一発・裏ドラありのルールが普及していたとする証言がある[10]。また、この年に出版された書籍が数え満貫は跳満から三倍満まで、役満貫は4倍満とする現在とほぼ同じルールを紹介している[11]。1977年の発行された書籍では、同様のルールを前提に初心者向けの麻雀入門をレクチャーしている[12]。
日本麻雀連盟では2024年現在もアルシーアルルールを採用している。また、ブー麻雀もこれに近いルール体系となっている。
脚注[編集]
出典[編集]
- ↑ 川崎 1956, p. 287-289.
- ↑ 川崎 1956, p. 290-291.
- ↑ 柳 1957, p. 74-75.
- ↑ 柳 1957, p. 127.
- ↑ 大隈秀夫 『マージャン金言集 敵に差をつける「読み」と「カン」』 光文社〈カッパ・ブックス〉、1974年6月30日、初版、162-163頁。NDL:75067634。
- ↑ 浜 1963, p. 297.
- ↑ 浜 1963, p. 304.
- ↑ 浜 1963, p. 305-306.
- ↑ 浜 1963, p. 138.
- ↑ 大隈 1972, p. 204.
- ↑ 大隈 1972, p. 199.
- ↑ 栗原安行 『麻雀 点数の数え方とあがり方』 新星出版社、1977年6月20日、18頁。
参考文献[編集]
- 川崎備寛 『麻雀の勝ち方』 大泉書店〈入門百科叢書〉、1956年3月15日。 。
- 柳英三 『麻雀の打ち方』 田中書店〈実用百科叢書〉、1957年4月1日、五版。
- 大隈秀夫 『ギャンブル風土記』 日本交通公社、1972年11月15日、初版。ASIN: B01EROLPWQ。
- 浜芳太郎 『麻雀を本で覚えたい人に』 日本文芸社、1963年3月20日、五版。