よみもの:謄本と正本、判決と判決書の意味
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はじめに[編集]
謄本と正本の違いは何かをインターネットで調べると、弁護士のホームページで謄本には効力が無く、正本には効力があると述べられている。辞典を調べてもこの点は明白でないが、概ね同様の考えのようである。この原因は改正民事訴訟法における判決と判決書の意味に関する混乱にあり、正しくは謄本には効力があり、正本には効力が無いということを旧法は明確に示している。ここでは、旧法に基づき、判決と判決書の意味に関する改正新法の混乱を明確にすると共に謄本と正本の意味を明確にすることを目的とする。
謄本と正本[編集]
ある電子辞書によれば、謄本とは、昔は、原本の上に薄い和紙を置いて透過した文字を全く同じ筆跡に写した文書とある。現代のコピー機による複写に相当する。謄本とは「文字の大きさ、フォントタイプ、記号、絵模様、それらの色等の全てが原本と一致する謄写文書」である。一方、正本とは「内容が原本と一致する文書」であり、文字の大きさ、フォントタイプ、記号等の一致は必要がない。従って、手書きでも、ひらがな書きでも、極端に言えばローマ字書きでもよいのである。これら定義から見ても謄本には効力が無く、正本に効力があるとの考えはおかしい。
謄本とは「謄写した原本」、即ち、生物のクローンに相当する「原本の完全コピー」であり、作製の前後関係以外に原本と差異の無い複製原本である。従って、原本が効力を持てば謄本もその効力を持つ。一方、正本は「正しい原本」、即ち、原本の内容はこの通りという証明に過ぎず、極めて類似精度の悪いレプリカに相当する。例えば、偽札も人間の目でも機械でも真札との違いを見出せない完全コピーなら真札として通用するが、モノクロコピーでは通用しない。完全コピーすると原本の持つ効力もコピーされるのである。
一般の文書において「正本」「副本」と用いることがあり、この場合は「正式の文書」「副の文書」であるが、この場合の「正本」は文書の使用法における正副に関するものであり、謄本と正本という文書の作成法に関する正本とは異なる概念である。正本が効力を持つという考えはこの「正式の文書」と誤り解釈し、判決書に添付された「これは正本である」との一枚の証明書は文書が効力を持つ正式の文書であることを証明すると勘違いしていることによる。判決書に添付されたこの証明書はこれを添付した文書が正本として作成されたものであることを証明するだけで文書の効力を証明するものではない。
正本はその本文に後から効力を付加することができる。それには権威ある者がそのことを正本の内容を変えないように本文に追記しなければならない。一方、効力を持たない原本の謄本の場合はこの追記による効力の付加はできない。追記により、原本と謄本で差異が生じてしまうからである。謄本と正本という二種類の複写文書が存在する理由は次項に詳しく述べるが、判決と判決書の関係と密接な関係があり、両者の存在は必要不可欠である。
判決と判決書[編集]
判決は裁判官の頭の中にのみ存在し、当事者を拘束する効力を持つ。民事訴訟法において、平成八年改正前の旧法[1]には次のように定められている。
第193条 判決は交付を受けたる日より二週間内に之を当事者に送達することを要す
2 判決の送達は正本を以って之を為す
頭の中にある判決を送達するには判決を文書にしなければならない。それには、裁判官自らワープロを打つか、裁判所書記官が裁判官の口述又は筆記文をワープロで文書にすることになるが、この文書が裁判官の脳裏に描いている文書の完全コピーであると確認することは誰にもできない。従って、書記官は「これは謄本である」との証明書を付けることができないので、判決の謄本は作成不可能である。しかし、この文書は正本であるとの証明書を付けることはできる。このために正本という複写が必要なのである。これ等の理由により同条第2項が定められている。
正本は効力を持たないので、その本文部分に、裁判官自身がこの正本は脳裏に描いている文書の完全コピーであると認める署名捺印をすることにより効力を与える。署名捺印は記号であるから正本の内容に何ら変化を与えること無く効力を与えることができる。この効力を与えた正本を判決書と呼ぶ。これは旧法第191条【判決書の記載事項】に次のように定められている。
第191条 判決には左の事項を記載し判決をなしたる裁判官之に署名捺印することを要す
(左の事項は、主文、事実及び争点、理由、当事者及び法定代理人、裁判所である。)
しかし、改正新法[2]では、対応する第253条にて「判決をなしたる裁判官之に署名捺印することを要す」との記述を削除してしまった。この削除は重大な瑕疵である。日本では、権力ある者がその権力を行使する文書や契約書のように自他の権利を左右する文書には署名捺印又は記名押印するのが慣習である。欧米流に押印を廃止するのであれば自筆署名を必要とする。又、慣習は法に優先する。従って、第253条に署名捺印を要するとの記述がなくても判決の正本には署名捺印又は記名押印が必要である。これの無い判決の正本は判決書ではなく、効力の無いただの正本である。これを送達しても当事者に判決の効力は生じない。
改正新法は「これは正本である」との証明が効力を証明すると誤認しているためさまざまな矛盾や誤りを生じている。前述の旧法第193条に対応する第255条は次のように規定する。
第255条 判決書又は前条第2項の調書は、当事者に送達しなければならない。
2 前項に規定する送達は、判決書の正本又は前条第2項の調書の謄本によってする。
旧法には調書判決が無かったのでその部分を除くと、第1項は「判決書は送達しなければならない」、第2項は「送達は判決書の正本によってする」となる。これは矛盾である。「判決書」は「判決の正本」であるから文書であり、必要な部数作成でき、直接送達できる。一通しか作成できない事情があるなら謄本を送達すればよい。判決書とその謄本は全く同じものである。何故、内容以外、文書体裁は全く異なることが認められ、判決書にある署名捺印も記号であるからコピーされない正本にして送達するのか。ここには「これは正本である」との証明が効力の証明であり、それの無い謄本は効力が無いとの誤認がある。或いは判決と判決書を混同している。
一方、調書は謄本により送達するとある。効力の無いと誤認している謄本の送達は何の意味があるのだろうか。第255条の前条第2項には次のように規定されている。
第254条(言渡しの方式の特則)(中略)
2 前項の規定により判決の言渡しをしたときは、裁判所は、判決書の作成に代えて、裁判所書記官に、当事者及び法定代理人、主文、請求並びに理由の要旨を、判決の言渡しをした口頭弁論期日の調書に記載させなければならない。
この調書は判決書の作成に代えて判決を調書に記載したものであるから判決の正本であり、裁判官の脳裏にある判決を文書にしたものであることに判決書と変わりがない。但し、調書であるから一通しか作成できない。従って、当事者にはコピーを送達する必要があるが、効力があると誤認している正本でなく、効力が無いと誤認している謄本を規定している。これは矛盾である。
結論[編集]
謄本は原本と同じものの複製であり、原本が効力を持てば謄本も効力を持つ。正本は内容のみが原本と一致するものであり、効力は持たない。判決は裁判官の脳裏にのみ存在し、それを文書化した正本に裁判官が署名捺印、又は、記名押印して効力を与えたものが判決書である。平成八年の民事訴訟法改正以降、判決書に裁判官の記名はあっても押印はない。その効力は問題視するべきである。
おまけ
たとえば文章中「判決は裁判官の頭の中にのみ存在し」と記載されていますが、旧民事訴訟法(平成8年全面改正前)でも「判決原本」などの用語は使用されており(旧民訴189条1項参照)この主張は成立しない。その他の記載も、自己に不利な判決を論難するの効力を否認するために考えたものといわざるをえない(同じような主張をするwebページが存在するが、本人の名誉のため?明示することは避けます)。 --kyube(会話) 2018年5月30日 (水) 04:36 (UTC) — 引用元:wp:ja:Wikipedia:削除依頼/謄本と正本、判決と判決書の意味
脚注[編集]
- ↑ 小六法 1989年版 有斐閣
- ↑ https://ja.wikibooks.org/wiki/コンメンタール民事訴訟法