よみもの:私立学校の無料宣伝はどこまで許されるか

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この「よみもの」は、小山大将が作成したものです。
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日本において、近代的な私立学校は、福沢諭吉以来さまざまに発展を遂げている。しかし、私立である以上経営の問題を避けることはできない。そのため、各学校広報に励む。それには、コストもかかる、努力も当然必要である――はずなのだが。

何と、無料で宣伝をしている私立高校があるのだ。

このよみものは、その私立高校を批判する意図のものではない。問い合わせ等は一切やめて頂きたい。これは、他の私立学校でも起こりうる問題であり、教育そのものの根幹にさえ関わる問題なのだ(多分)。

It's free!![編集]

箱根駅伝の上りをよくご覧頂きたい。戸塚に向かうところで、心臓破りの坂がある。ここに、毎年出場校ののぼりが並び、各大学が日頃の努力と費用の賜物たる駅伝走者たちを応援して盛り上がるのは周知の通りだ。ところで、先頭走者がくる前後、ヘリコプターからの映像がテレビに映し出される。……あれ?

なにか人文字のようなものが見える。干支と、あと何か書いてある(かもしれない)。

これは、この坂の近くに所在する私立中高一貫校がサブグラウンドに画用紙を並べて制作した「応援メッセージ」である。

何の応援なのだろうか。

駅伝の選手にOBがいる確率は低い。この高校の陸上部は近年、地区大会で優秀な成績を収めたこともあるが、いわゆる全国規模の強豪という訳ではない。

では、気持ちだけでも、ということか。だとしたらなぜ干支なのだろうか。頑張れくらい書いたらどうだろうか。2021年1月2日、8区クライマックスの坂を、それこそ一所懸命に走っている選手たちを尻目に、こんな文字が書かれているのである。

「丑」

それこそ命懸けで走る選手たちを侮辱している。ゆるらかに牛車でうち出づ、とかそういった平安貴族の精神性でいられるのもいかがなものか。そもそも、この学校の遠祖は貴族権力というものからかけ離れた「浄不浄をきらわず」という教えで、捨聖とさえいわれた人物ではないか。この有り様、腹立たしいことである。応援にもなににもなっていない。

しかも、同校のマスコット、ならびに横断幕は沿道にしっかり映りこんでいる。そして、それを広告の写真等にも使っている。

これは、宣伝ではないだろうか。

ただならぬ効果[編集]

日本テレビ系列で放送される箱根駅伝の中継は、例年視聴率が25%を超える、新春の目玉番組のひとつである。学校法人や宗教法人が、主に地方局、しばしばキー局でもコマーシャルを打つことがあるが、ここまでの人気番組で、それも中高1000人足らずの生徒数の私立学校のコマーシャルが流れたら、当然話題になる。しかも、神奈川県の中学受験は一般に2月1日スタートであり、願書提出の直前のタイミングといってもよい。

現状において、この中学校でこのような取り組みがなされているとの認知は広まっていないが、同校は上記の通り認知度を高めるべく手を打っており、効果を期待しているのは明らかであろう。

要するに、宣伝である。

中学受験レベルでは、上位層を除き「これで人生が決まる」というような悲壮感を持っていないケースも多い。そもそも12歳(場合によっては11歳)の子供にそこまでの覚悟はないことの方が多いだろう。まして、8校もの併願さえ行われる。偏差値の高くないところを1校くらい、という感覚の保護者・受験生・学習塾関係者も少なくない。

そんな時、この宣伝が力になるのである。

しかし、そんな宣伝行為に誰が責任を負っているのだろうか。

自由の気風だから[編集]

この宣伝活動を主導しているのは、学校当局ではない。高校生徒会である。

彼らは、大晦日までの学校閉鎖期間に自主的に登校し、寒い中画用紙を並べている。わざわざ電車に乗り、駅から20分も歩いて、することといえば、全貌の見えない文字の形に大量の画用紙を並べるだけ。これに数時間、もしくはそれ以上の時間をかける。ひたすら運動場に画用紙を並べるというのは、思うに一種の形而上学的刑罰なのだが、彼らはそれに喜びさえ覚えているらしい。家でみかんでもむいている方がよほど喜ばしいと思うのだが。教員も沿道には立つが、主役は募集されてきた生徒だ。

学校側に責任はない。いわく、生徒会が自らの意志でしていることなのだ。

この事案の問題点[編集]

この事案には、2019年11月13日時点で非常にタイムリーな三つの問題点があるので、ここにまとめておく。

1:学校側の経営モラルの低さ――常識と言い換えてもいいかもしれない。無料で公共の電波に映りこみ、宣伝活動を行うのが問題なのは中学生でもわかりそうな話だ。大学入試の新共通テストに民間事業者が参入する、というのが物議を醸しているが、民間事業者としても疑問符のつく私立学校が、現に存在するのである。

2:応援という隠れ蓑――表現の自由の問題もクローズアップされて久しいが、ここでは応援の名のもとに宣伝活動が正当化されている。ビジネスならビジネスといって正当な手段をとればよいのだが、どうも妙なところが潔癖である。

3:「生徒の自治」の乱用――生徒会とは、もはや学校側が責任をとらせるための組織である、とみることすら可能である。生徒会、ひいては「ブラック校則」に象徴される学校・生徒間の関係性の問題といえるだろう。