陳毅

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陳 毅(ちん き、チェン・イー、1901年8月26日 - 1972年1月6日)は、中華人民共和国軍人政治家外交官中華人民共和国元帥中国共産党十大元帥の1人。

略歴[編集]

1901年8月、四川省楽至県安井村に生まれる。1916年成都甲種工業学校に入学。1919年に勤労学生としてフランスに留学。1922年中国社会主義青年団へ参加。翌1923年、中国共産党入党。1945年の第7回党大会で中央委員に選出。同年8月23日、中央軍事委員会委員に選ばれる。同月、新四軍軍長に任命された。第2次世界大戦後の内戦期には第3野戦軍司令。

1949年5月、上海市を解放した陳毅は、上海市人民政府を成立させ、市長に就任。

1954年9月国務院副総理に任命され、国防委員会副主席を兼務した。1954年6月中華人民共和国元帥に列せられた。1956年の第8回党大会で中央政治局委員に選出。

1958年2月11日外交部長に就任。国務院総理首相)の周恩来とともに外交政策を担った。1966年1月、党中央軍事委員会副主席を兼任した。

1966年の文化大革命では陳毅は外交軍事両方の重要人物として批判を受ける。陳毅は譚震林らとともに自己批判を強いられ、職務停止となった。

1972年1月6日に副総理兼外交部長のまま病死した。葬儀には毛沢東が出席した。

囲碁殿堂入り[編集]

  • 1963年10月に日本との国交正常化のため、囲碁を基にした文化交流を試みる。日本の囲碁の代表団(「訪中棋士団」(団長瀬越憲作))を中国に招待し、日本棋院から名誉七段の証書を贈られた。
  • その後も毎年日本からの訪中団を受け入れ、杉内雅男宮本直毅梶原武雄らが訪中し、「日中囲碁交流」が行われた。
  • 囲碁の普及教育活動に取り組み、その中心人物として、1962年中国囲棋協会が設立された際、名誉主席に就いた。
  • 2012年日本棋院囲碁殿堂入りした。

参考文献[編集]