ラーメン
ラーメン(老麺、拉麺、柳麺, Ramen/Lamen)とは、本来はいわゆる中華麺をいう。これを素材とした料理が主に日本を中心としたジャンルとしての中華風の麺料理である。通常は中華風のスープと中華麺を主として海苔、鳴門巻き、ホウレンソウ、メンマ、味付け玉子などの具を加えて日本風にしたものである[1]。ただし炸醤麺やつけ麺や焼きそばなど、中華麺を用いていてもラーメンには含まれない例外もある。
湯麵との関係[編集]
スープ(湯)麺としては確かに同類なのだが、「ラーメン」と呼ばれると「それはどうかな」というものも存在する。「揚子江飯店」や「新橋亭」の「とりそば」、長崎の「チャンポン」、「沖縄すば」などがそのあたりに類し、「ワンタンメン」や「麻婆湯麵」や「酸辣湯麺」などは別ジャンルとして愉しみたく思う。
歴史[編集]
日本に入って来たのは明治時代で、発祥は日本中華街ということになっている。
日本には出島の関係で江戸時代から存在する長崎新地中華街(長崎県長崎市)、横浜開港により中国人(華僑)が流入し一大中華街が新興した横浜中華街(神奈川県横浜市)、同じく1868年に開港し外国人居留地の一部として発展した神戸南京町(兵庫県神戸市)のいわゆる三大中華街があるが、このうちラーメンの発祥地は神戸南京町とされている。
なお、この発祥地についてはさまざまな議論がある。
日本国内へは大正時代に広まりを見せ、調理内容も日本風に独自発展を遂げている。21世紀現在では「中国料理の日本風アレンジ」ではなく「中華風の日本料理」として世界に広まっており、大元である中華圏での表記は日式拉麺または日本拉麵となっている。
関東大震災(1923年〈大正12年〉発生)後は「支那そば」の呼び名で流行した[1]。
日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門で有名な徳川光圀(常陸国水戸藩の第2代藩主。徳川家康の孫で、徳川頼房の3男)で、江戸時代の僧侶の日記を根拠に1697年(元禄10年)に食べたのが最も古い記録とされていたが、室町時代の僧侶の日記である『蔭涼軒日録』の中に中国のレシピを参考にして1488年に「経帯麺」を調理し、来客に振る舞ったとの記述があったと2017年(平成29年)7月に発表された。経帯麺とは小麦粉とかん水を使うことが分かり、日本初のラーメンの可能性があると結論付けられている。スープの作り方は書かれていないが、椎茸や梅昆布のだしをかけて食べていたのではないかと見られている。
テーマパーク[編集]
ラーメンはカレーライスと並んで日本の国民食と呼べるほど日本人にとって馴染みの深い広く普及した日本料理のひとつとなっており、ラーメンをテーマにしたラーメンテーマパークが日本各地に存在している。営業終了したものも含めると全国総数約50館程度が存在した。
著名なところでは『日本全国のラーメンを1館で食せる』というコンセプトで1994年に開館した新横浜ラーメン博物館(神奈川県)、全国で人気のあるラーメン店を一同に集めたラーメン国技館(東京都)などがある。
語源[編集]
「ラーメン」の語源は諸説ある。
- 「拉麺」(ラーミェン) - 手で引き延ばす手延べ中華そばが「ラーミェン→ラーメン」に変化した。腰があり、長く引っ張り延ばせるので素麺と同じように細く長くできるため、「柳麺」とも書かれた。
- 「老麺」(ラオシェン) - 中国語「そば」の「老麺・ラオシェン」がラーメンに変化した。こちらは饂飩と同じく「寝かせる」という工程を経る処に由来するという説もある。
- 竹屋食堂説 - 札幌北大前の竹屋食堂のシェフが「ラー」(はい)と答えていた。 らーさんの作る麺なので、ラー麺となった。
- 明治時代の横浜中華街で『らうめん』と呼ばれていた。ただし平仮名の『らうめん』である。
- 浅草の『来々軒』は『支那そば』の中国名として『ラーメン』を使った。
ラーメンの国民食化[編集]
ラーメンが日本の国民食のようになったのは、1958年(昭和33年)8月25日に発売した世界初のインスタントラーメンの大ヒット、1972年の「あさま山荘事件」で現場の警察官達がカップヌードルを食べる姿が放映されたこと、全国各地にご当地ラーメンができたことなどから、日本全体に定着したためなどの要因が考えられる。