RX-7

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

RX-7はかつてマツダが生産していたスポーツカー

モータースポーツ活動[編集]

日本国内ではSA/FC/FDの各モデルを通じて、サバンナRX-7/RX-7を用いたワークスとしてのレース参戦実績はない。日本国外では現地法人による参戦が多い。

SA22C[編集]

サバンナRX-7は発売後まもなく米国のIMSAシリーズへの参戦を開始。IMSAの下位クラスで2.0L以下のグランドツーリングカーを対象とするGTUクラスで高い勝率を記録していた。サバンナRX-7は4座の車両であるので、FIAが定めた当時の車両規定のG1/G2/G5のカテゴリでレースへの参戦を行なった。

  • G1
ヨーロッパでTWRからヨーロッパの量産ツーリングカー選手権に参戦。1981年にスパ・フランコルシャン24時間レースで総合優勝を達成した。
  • G4
1979年のデイトナ24時間にアメリカのIMSAにG4仕様の車両で12Aを搭載してGTUクラスに参戦を開始。1979年のデイトナ24時間には、マツダ本社からG4仕様2台で参戦しクラス優勝とクラス2位を獲得。IMSAにはG4仕様の車両で参戦をアメリカサイドが主体になって参戦を継続し、最終的にはGTU専用車両に進化をする。また、IMSA専用車両(G4仕様ではなくチンスポイラやオーバーフェンダをボディと一体化した専用車両)に13Bを搭載してGTOクラスにも参戦し、デイトナ24時間でクラス優勝を果たす。G4の車両は、量産車両をベースにフロントにチンスポイラ/オーバーフェンダを4輪に装着/リアには短いトランクデッキを囲むようにリアスポイラを装備している。デイトナ24時間レースでの1979年、1982年から1993年の12年間連続GTUクラス優勝を達成した。
1979年/1981年/1982年に、マツダスピード(マツダオート東京)の手によりル・マン24時間レースにも参戦。寺田陽次郎/トム・ウォーキンショー/生沢徹/鮒子田寛らがドライバーを担当したが、信頼性や出力が不足していて最終年度に1台完走の実績しか上げれなかった。ル・マン24時間レース以外にも日本国内の選手権(富士スーパーシルエットシリーズや耐久選手権)に挑戦した。また日本国内のレースに他のエントラントも参戦した。マシンとしては、全てエンジンを12Aから13Bへ載せ換えている。エントラントによっては、G4仕様の車体を使用してエンジンのみ13Bへ載せ変えたものもあった。
マツダ25Xという車名で、ムーンクラフトが外装/マツダスピードがエンジンを担当してマシンを開発した。25Xは、G2仕様の車両をG5仕様に改造したというところから採用した。251は、RX-3である。252~254の3台がRX-7で、車両はRX-7のオリジナルのシャーシを活用して外装のみを大幅に変更。エンジンは、富士グランチャンピオンレース(富士GC)で使用していた13Bを使用している。ライバル車両と比較すると改造範囲が狭いので、ル・マン24時間レースでは、G5ではなくIMSAのGTOにて参戦した。
252i
サバンナRX-7としての初めてのG5改造車で1979年に登場。車両本体は、量産車のモノコックをそのまま使用してエアロパーツをG4仕様より大幅に改造した。フロントスポイラを前面グリルと一体化して車両下部に流れ込む空気量と削減すると同時にダウンフォースを確保。オーバーフェンダはブリスタフェンダを採用。リアは、リアトランクデッキ部を後部へ延長してトランクデッキの平面部を拡大すると同時に延長されたトランク平面部の中間部から翼端板を立ててウイングの支持とウイングに流れる空気の整流を実施。エンジンは、富士GCに使用している13Bのインジェクションタイプ(BMWと同じクーゲルフィッシャーの機械式インジェクション)に載せ変えていた。レースは、1979年のル・マン24時間に寺田陽次郎/生沢徹/C・ブシェットで参戦したが準備不足もあり、予選不通過となった。
253
1981年に登場。前作の252をベースにリアトランクの延長部の最後端部にスポイラを装着し空力面での改善を加えた。ル・マン24時間には、寺田陽次郎/鮒子田寛/ウィン・パーシー組と生沢徹/トム・ウォーキンショー/ピーター・ラヴェットの2台で参戦した。予選ではインジェクション/決勝ではキャブレターを使用して信頼性を重視する方法で挑戦したが、決勝では寺田組の38号車が2時間でデファレンシャルのトラブル、ウォーキンショー組は10時間後にギヤボックスのトラブルでリタイアとなった。日本国内では、マツダオート東京以外のチームでも253を購入しレースに参戦するチームがあった。木の実レーシングの従野孝司は、サンルーフ仕様の253を253SRとして耐久レースに参戦した。
254
1982年に登場。この年からマツダオート東京チームは、マツダスピードに名称を変更。253よりさらに空力面の改善を実施。特にヘッドライトの配置が縦になり、ノーズ先端にMAZDAのロゴ入のロータリのオムスビエンブレムが付けられた。またリアは、ウイングをトランク延長部の最後端部に翼端板にて支持する方式を採用した。ル・マン24時間レースには、トム・ウォーキンショー/ピーター・ラヴェット/チャック・ニコルソン組と寺田陽次郎/従野孝司/アラン・モファット組の2台で参戦。車検でリアフェンダのスパッツ形状でIMSAのGTXにクラス変更させられた。決勝では、寺田組が総合14位で初完走した。日本国内では253と同様、マツダスピード以外のチームでも254を購入しレースに参戦するチームがあった。
  • マツダ本社
マツダ本社がマツダスピードのG5の活動に刺激され、風洞モデルとしてG5マシンを作成。この車両を使い、片山レーシングと静岡マツダが日本国内のレースに参戦した。車両としては、マツダスピードと同じように外装のみの大幅変更と13Bへの換装を実施
  • マツダオート山梨(赤池レーシング)
1982年に「マツダ825」という車名で赤池レーシングと提携していたマツダオート山梨が、パイプフレームのシャーシに13Bを搭載したマシン

FC3S[編集]

漫画『頭文字D』の登場人物、高橋涼介のFC3S(プラモデル)
  • IMSAシリーズへの参戦はSA22C時代と継続して続けられた。エントラントによっては、GTUクラスでの参戦を継続すためエンジンを12Aに載せ換えたチームもある。また4ローターエンジン(13J改2)を搭載したマシンも作られGTXクラスへも参戦を行なった。IMSAにおいては、マシンは大幅な改造が認められていた。IMSAデイトナ24時間レースで1982年から10年連続でクラス優勝を飾り、1980年から1987年まで毎年 IMSA Grand Touring Under Two Liter(GTU:グランドツーリング・2.0L以下クラス)選手権でシリーズチャンピオン獲得を果たした。RX-7は、IMSAレースにおいて同クラスのいかなる自動車よりも多く勝ち続け、1990年9月2日に100勝目を挙げた。
  • 日本では、個人規模のプライベーターチームによる市販車ベースのレース参戦が行われた。当時、日本国内のレースでは、シルエットフォーミュラのレースが終了し、各メーカともグループCレースに総力を挙げていた。マツダスピードは、グループCの開発・参戦に専念していたので、本モデルのレースマシンは開発されなかった。全日本GT選手権(JGTC)では東京科学芸術専門学校によって、GT300クラスにエントリーされた。また富士スピードウエイではジャパン・スーパースポーツ・セダンレース(JSS)で、活発なレース活動が行われた。これは13Bエンジンをペリフェラルポートにしたエンジンで主に争われた。
  • ボンネビル・ソルトフラッツで行われるボンネビルスピードウィークに、レーシングビートが13Bブリッジポートとツインターボで区間記録383.724km/h、最高速度392km/hを記録している(圧縮比7.5のローターを使用したワークス試作エンジンが搭載された)。その他の団体からもFC3Sでエントリーが行われている。

FD3S[編集]

リア
  • オーストラリアのバサースト12時間耐久レースで、FD3Sが1992年から1994年まで、3年連続でクラス優勝した。これを記念して、限定モデル“タイプRバサースト”が発売されている。
  • 国内では、プライベータチームによるスーパー耐久と全日本ジムカーナ選手権と、全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)へ生産終了後も継続参戦している。
  • JGTC→SUPER GTにおいては、RE雨宮レーシングがGT300クラスに2010年まで、オークラロータリーレーシングが1999年まで参戦していた。他にも関東地区マツダ販売店が「カストロール・SFアンフィニRX7[注釈 1]」として1996年のみ参戦している。2006年には、『雨宮アスパラドリンクRX7』でSUPER GT・GT300クラスチームチャンピオン、ドライバーの山野哲也井入宏之がGT300クラスドライバーチャンピオンを獲得している。(詳しくはRE雨宮#レース活動を参照)
  • D1グランプリにも複数の参加者からRX-7で参戦があり、2003年第3回大会には今村陽一がシリーズチャンピオンになっている。
  • 全日本ジムカーナ選手権においては、FD型RX-7がホンダ・NSXS2000トヨタ・MR2SW20型、ロータス・エキシージなどと並び、後輪駆動車クラスの上位を占めている。
  • ボンネビル・ソルトフラッツで行われる「ボンネビルスピードウィーク」に、「レーシングビート」が20B・ツインターボエントリーし、242MPH(385.6km/h)を記録している。

注釈[編集]

  1. SFというのはスポーツファクトリーの略。

出典[編集]