齊木春香

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齊木 春香(さいき はるか、1988年11月17日 - )は、日本の元ソフトボール選手(内野手外野手捕手)。

インターネットSNSを使って複数ビジネスを展開する起業家投資家の顔を持つ。選手を引退した数年後、起業するという夢を叶えるため自主退社。その後職を転々とするものの、2018年に個人事業主として開業する。物販ビジネスから始まり、現在ではPC1台で実現できるインターネットやSNSを活用した複数ビジネスや個人・中小企業コンサルディング、サロン運営やゲーム投資など、活躍の場を広げている。

高校卒業後の2007年トヨタ自動車への入社と共にトヨタ自動車女子ソフトボール部(現:トヨタレッドテリアーズ)へ入部。強肩を生かし外野手で入団するも、守備の器用さをかわれ内野手や自身初の捕手も練習し、投手以外の全てのポジションを守れる実業団屈指のオールラウンダーの選手へと成長するが、ヘルニアの怪我などがあり活躍できないまま惜しまれつつも引退。

右投げ右打ち。

来歴[編集]

福岡県遠賀郡出身。小学3年の夏頃、兄きっかけで男子に混じり野球を始めたが、始めた理由は「差し入れで貰えるスイカバーを食べたいから」という何とも子どもらしい発想だった。

周りの子と比べコントロールが尋常に悪く、家の壁に向かって延々と壁当て練習を気が済むまで打ち込む。家の壁やフェンスは常にボロボロだったそう。5年生でようやくレギュラー入りを果たす。

6年の春、練習の準備のため監督やコーチが座る椅子を用意している時、一気に5~6個持って定位置に置いた瞬間、グラウンドに埋まっているタイヤに跳ね返ってパイプ椅子が目に直撃。病院に向かうも目の中で流血していることが分かり、血流を上げると失明する危険性もあったことから、医師から一年間運動禁止と忠告される。

誰よりも外で遊ぶことが好きな子どもだったようだが、野球はもちろん体育の授業も全て見学しなければいけない1年を過ごす。

毎年冬になると駅伝大会が開催されており、大会前日に通院していた病院の医師から「明日から動いていいよ」と運動禁止地獄から解放される。翌日の駅伝大会では陸上クラブ含め他競技の選手が参加する中、長距離走1.2キロで遠賀郡内の小学生男女の部で1位入賞。1年間走ったり運動をしていなかった中での結果に、チームメイトや応援に来ていた父兄もみんな驚愕したという。

中学時代には、福岡県強豪チームだったボーイズリーグの野球クラブ、水巻レンジャーズ(現チーム名:福岡芦屋ボーイズ)に所属。中学2年でレギュラーを獲得し、中学3年では全国大会に出場。

高校からは北九州市立高等学校(旧:戸畑商業高等学校)に入学し、野球からソフトボールに転向。ソフトボールのルールが分からないまま高校1年からレギュラーを獲得。練習や試合を重ねながらルールを覚えた。

高校2年の夏の大会でホームランを連発。決勝戦では、その年の春に全国大会で優勝していたライバル校、小倉商業高等学校と対戦するも優勝ピッチャーからホームランを2本放ち、チームの優勝に大いに貢献した。無名に近い学校ではあったが、ずば抜けた身体能力もあり実業団の監督からひそかに注目され始める。

高校3年では自身初の国体選手にも選ばれ、U18 (旧称:18U(AAA)世界選手権大会) の日本代表選考に選ばれるもののセレクション落ち。

人物[編集]

  • モットーは大好きなことで生きる。SNSを中心に、やりたいことを個人ビジネスに繋げる方法や、本当にやりたいことを生涯通して出来るよう、健康な身体を作るための健康実践サロンなどを協業している。

外部リンク[編集]