遠照寺

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遠照寺(おんしょうじ)は長野県伊那市高遠町にある日蓮宗の寺院。「ぼたん寺」として知られる。

概要[編集]

平安時代初期の821年(弘仁11年)に現釈迦堂の地に最澄(天台宗の開祖)が薬師堂を建立したと伝わる。当初は天台宗の寺院であったが、1473年(文明5年)に日朝聖人が日蓮宗に改宗して開山し改めて妙朝山遠照寺となった。久遠寺の基礎を固めた事により中興の祖となる。

絵島[編集]

江戸時代の大奥スキャンダルのため高遠に流刑された絵島の墓がある。絵島は1714年(正徳4年)に大奥の絵島生島事件を起こし高遠藩主内藤清枚預かりの流罪となり1741年(寛保元年)61歳で没するまで火打平に設けられた囲み屋敷に28年間幽閉された。絵島は漢学の書を借りるため遠照寺を訪れ、参詣するようになったという。遠照寺では藩の許可を得て「絵島の間」という部屋を設けた。絵島は当時における当地の名僧見理院日燿上人の法話を聞き碁を興じたという。境内には絵島の遺言により歯骨と髪の毛が納められ文骨墓が建立されている。

重要文化財[編集]

  • 釈迦堂(附指定:多宝小塔)
    • 釈迦堂は天文7年(1538年)の建立。「天文七年」の墨書銘がある。建築様式は和様を主としているが天竺様が加味され、唐様への移行段階である折衷様で当時の御堂建築の遺構として貴重とされる。
  • 多宝小塔
    • 釈迦堂内の多宝小塔は文亀2年(1502年)の建立である。多宝小塔は、高遠鉾持の大工池上左衛門大夫政清により制作され、山室郷の住人吉田原豊前守によって寄進されたと伝えられる。彩色が施され、扉に牡丹の絵が描かれた金箔を貼っている。拝観料は1人400円。

市指定の名勝、文化財[編集]

  • 庭園
  • 七面堂
  • 陣太鼓、鰐口 織田信長軍が高遠城を攻めた時に寺に寄進したものとも、坂上田村麻呂が諏訪上社に奉納したものとも伝わる。

基本事項[編集]

  • 名称:遠照寺
  • 宗派:日蓮宗
  • 本尊:二尊四菩薩
  • 構造:桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、銅板葺
  • 創建年:伝・821年(弘仁11年)
  • 釈迦堂建築年:室町後期
  • 指定:重要文化財(釈迦堂と多宝小塔)
  • 指定年月日:1930年5月23日
  • 所在地:伊那市高遠町山室 2010

文化財オンライン[編集]

遠照寺釈迦堂

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