譲位

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譲位(じょうい)は、国王などが存命中に、自分の地位を自分の指名する後継者へ譲ることである。「退位」「生前退位」では後継者を自分が指名しないので[1]、譲位と退位は異なっている。

日本の場合[編集]

日本では歴史的には譲位が多い。 戦後は天皇が「象徴」になったため、政治的権能をもつ譲位はできなくなったと解されている。しかし、戦後は皇位継承順位が事前に明確に定まっているので、今上天皇が退位すれば自動的に順位1位のものに受け継がれる。「譲位」と言わなくとも、譲位の効果があるともいえる。しかし、それでも「譲位」とは意味が異なるといえるのは、その後の影響力の差異にある。

譲位した天皇[編集]

  • 645年皇極天皇から軽皇子(孝徳天皇
  • 697年持統天皇から軽皇子(文武天皇
  • 715年、元明天皇から氷高内親王(元正天皇
  • 724年、元正天皇から太子首皇子(聖武天皇
  • 749年、聖武天皇から阿倍内親王(孝謙天皇
  • 758年、孝謙天皇から大炊王(淳仁天皇
  • 781年光仁天皇、病気により山部親王に譲位
  • 809年、平城天皇、病のため位を弟嵯峨天皇に譲る
  • 823年、嵯峨天皇、皇太弟大伴親王(淳和天皇)に譲位
  • 833年、淳和天皇、皇太子正良親王(仁明天皇)へ譲位
  • 876年、清和天皇、皇太子貞明親王(陽成天皇)に譲位
  • 897年、宇多天皇、皇太子敦仁親王(醍醐天皇)に譲位
  • 930年、醍醐天皇、皇太子寛明親王(朱雀天皇)に譲位
  • 946年、朱雀天皇、同母弟成明親王(村上天皇)に譲位
  • 969年、冷泉天皇 、円融天皇に譲位
  • 984年、円融天皇、兄・冷泉帝の皇子・師貞親王(花山天皇)に譲位
  • 986年、花山天皇、一条天皇に譲位して花山寺に出家
  • 1011年、一条天皇、従兄の東宮居貞親王(三条天皇)に譲位
  • 1016年、三条天皇、道長の勧めに従い譲位、後一条天皇が即位[2]
  • 1045年、後朱雀天皇、位を後冷泉天皇に譲位し、出家
  • 1072年、後三条天皇、位を皇太子貞仁親王(白河天皇)に譲位
  • 1086年、白河天皇、皇子善仁親王を皇太子に立て、即日譲位。
  • 1123年、鳥羽天皇、皇子(崇徳天皇)に譲位
  • 1141年、崇徳天皇、近衛天皇に譲位
  • 1158年、後白河天皇、皇子の二条天皇に譲位
  • 1165年、二条天皇、皇太子順仁親王(六条天皇)に譲位
  • 1168年、六条天皇、2歳で即位し5歳で退位、叔父の憲仁親王に譲位(高倉天皇)
  • 1180年、高倉天皇、皇太子(言仁親王)に譲位
  • 1198年、後鳥羽天皇、為仁(土御門天皇)に譲位
  • 1210年、土御門天皇、後鳥羽上皇の命令により、皇弟の順徳天皇に譲位[3]
  • 1221年、順徳天皇、倒幕計画のため皇太子懐成に譲位
  • 1221年、仲恭天皇、承久の乱の結果、承久三年七月九日、鎌倉幕府の沙汰によって後堀河天皇に譲位[3]
  • 1232年、後堀河天皇、二歳の皇子に譲位
  • 1246年、後嵯峨天皇、皇子の久仁親王(後深草天皇)に譲位
  • 1259年、後深草天皇、父(後嵯峨上皇)の命によって弟の亀山天皇に譲位[3]
  • 1274年、亀山天皇、東宮(後宇多天皇)に譲位
  • 1287年、後宇多天皇、後宇多天皇は煕仁皇太子(伏見天皇)に譲位(持明院統と大覚寺統の対立)
  • 1298年、伏見天皇、後伏見天皇に譲位
  • 1301年、後伏見天皇、大覚寺統や幕府の圧力を受け大覚寺統の東宮(後二条天皇)に譲位
  • 1318年、花園天皇、後醍醐天皇に譲位
  • 1339年、後醍醐天皇、義良親王(後村上天皇)に譲位
  • 1383年、弟の東宮(後亀山天皇)に譲位
  • 1412年、後小松天皇、12歳の第1皇子(称光天皇)に譲位
  • 1464年、後花園天皇、皇子(後土御門天皇)に譲位
  • 1586年、正親町天皇、は皇孫和仁親王(後陽成天皇)に譲位
  • 1611年、後陽成天皇、政仁親王(後水尾天皇)に譲位
  • 1629年、後水尾天皇、幕府に諮ることなく譲位を決行、次女興子内親王(明正天皇)に譲位
  • 1643年、明正天皇、皇弟紹仁親王(後光明天皇)に譲位
  • 1663年、後西天皇、識仁親王に譲位
  • 1687年、霊元天皇、皇太子朝仁親王(東山天皇)に譲位
  • 1709年、東山天皇、皇太子慶仁親王(中御門天皇)に譲位
  • 1735年、中御門天皇、皇太子昭仁親王(桜町天皇)に譲位
  • 1747年、桜町天皇、皇太子遐仁親王(桃園天皇)に譲位
  • 1770年、後桜町天皇、甥の後桃園天皇に譲位
  • 1817年、光格天皇、皇太子恵仁親王(仁孝天皇)に譲位

退位した天皇[編集]

二説ある場合[編集]

  • 884年、陽成天皇、病弱説(『日本三代実録』)と基経により廃位されたとの説(『愚管抄』)

英国[編集]

英国では(生前)退位したのは、大英帝国成立以後はエドワード8世のみである。1936年「退位宣言への効力付与等のための法律」第1条に、「現国王陛下により作成され、この法律の附則にも付した退位宣言書は、この法律に国王が裁可した後、直ちにその効力を発する」と定められ、同年12月11日に退位した。

オランダ[編集]

1948年に、ウィルヘルミナ女王がユリアナに譲位した。2013年1月、在位33年のベアトリックス女王は退位を表明し、約3カ月後に長男のウィレム・アレクサンダー国王に位を譲ったが、これは「退位」と解釈されている。オランダで憲法28条に法律に認められない婚姻をした場合は、退位する(譲位ではない)と定められている。

参考文献[編集]

  1. 生前退位に関しては譲位と同義の可能性もあるという意見もあるが、誤りとする意見もある。歴史的に明らかに、退位と譲位が別々にある
  2. 藤原道長は娘の彰子が産んだ敦成親王を即位させるため、三条天皇に退位を迫り、天皇はそれを受け入れたので、譲位より退位に近い
  3. a b c 自分の意思による譲位ではないので、退位に近い