西代藩

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西代藩(にしだいはん)とは、江戸時代前期から中期の短期間だけ河内国に存在したである。藩庁は西代陣屋。藩主家は譜代大名本多氏。石高は1万石。現在の大阪府河内長野市に存在した。

概要[編集]

延宝7年(1679年)、近江国膳所藩の第2代藩主・本多康将の次男・本多忠恒は、その所領である近江国6郡や河内国3郡の7万石の内、河内国錦部郡・近江国高島郡甲賀郡などにおいて1万石を分知され、西代藩が立藩した。

第2代藩主・本多忠統は忠恒の子で、宝永元年(1704年)に遺領を相続した。正徳元年(1711年)、西代(大阪府河内長野市西代町)に陣屋を構えた。忠統は大番頭寺社奉行と昇進し、享保10年(1725年)には若年寄に累進した。享保17年(1732年)4月、伊勢国神戸藩に転封となり、ここに西代藩は廃藩となった。

歴代藩主[編集]

本多家

譜代 1万石 (1679年 - 1732年)

  1. 忠恒
  2. 忠統