神代勝利の墓

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

神代勝利の墓(くましろかつとしのはか)とは、佐賀県佐賀市関屋東畑瀬に存在する神代勝利の墓である。

概要[編集]

神代氏室町時代に山内(神埼郡佐賀郡小城郡)の北部の山地)を支配していた国衆で、木山城(大ノ原)・野々城(小副川)・城山(熊川・古湯)などを支配していた。神代勝利は肥前国守護大名少弐氏に仕えて龍造寺隆信にたびたび抵抗した名将である。しかし最後は隆信に敗れ、失意のうちに永禄8年(1565年)に畑瀬で死去した。

現在、宝源院に勝利の位牌が安置されている。墓は石垣の上に方形の台座を造り、その上に宝篋印塔が建てられ、周囲に高さおよそ1.5メートルほどの御影石の玉垣が巡らされている。左右には16基の家臣の五輪塔が配置されている。

アクセス[編集]