石井一

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石井 一(いしい はじめ、昭和9年(1934年8月17日 - 令和4年(2022年6月4日)は、日本政治家衆議院議員(11期)、参議院議員(1期)、国土庁長官第19代)、自治大臣第45代)、国家公安委員会委員長第55代)、衆議院内閣委員長・公職選挙法改正に関する調査特別委員会委員長・政治改革特別委員長決算委員長決算行政監視委員長参議院予算委員長民主党国会対策委員長、同選挙対策委員長などを歴任。

元参議院議員・日本国特命大使の石井一二は弟。甥に兵庫県議会議員の石井健一郎、西宮市長の石井登志郎がいる。2人とも石井一の元政策秘書であり、登志郎とは養子縁組をした。兵庫県議会議員の石井秀武は親類にあたる。危機管理都市推進議員連盟会長。日本音楽家協会会長。日本ジャズ音楽協会会長。上海大学顧問教授。イオンド大学非認定大学)名誉教授。

来歴[編集]

兵庫県神戸市出身。

昭和44年(1969年)の衆院選で自民党から初当選、佐藤派・田中派・竹下派に所属。昭和52年(1977年)に運輸政務次官だった際に、日本赤軍日航機をハイジャックしたダッカ事件で、政府派遣団長を務めて現地入りし、人質解放交渉を務めた。

平成5年(1993年)、新生党結成に参加し、民主党では国対委員長や副代表を歴任。衆院議員は11期務め、平成19年(2007年)から参院議員を1期務めた。平成26年(2014年)に旭日大綬章を受章した。

令和4年(2022年)6月4日午後2時40分、急性心不全のため、東京都中央区で死去した。87歳没。

選挙[編集]

神戸市からなる旧兵庫県第1区、後に神戸市東部からなる兵庫県第1区に所属(ただし石井本人は兵庫県第3区にあたる須磨区出身)。中選挙区時代は、同じ自民党の砂田重民と激しく競り合い、「石井・砂田の一騎討ち」が有名であった。

その後、石井一が自民党を離れ、砂田重民死去、跡を砂田圭祐が継ぎ、石井砂田対決はまだ続いた。小選挙区制施行後石井・砂田とも兵庫県第1区を選んだため、96,00,03年の選挙では本当の一騎討ちが実現した。小選挙区では、石井の2勝1敗だが、いずれも落選した側が比例復活当選している。特に00年は砂田が惜敗率99.58%、03年は石井が惜敗率98.89%で超激戦であったと言える。しかし2005年、自民党の公認候補が盛山正仁に変わったことにより、一騎討ちは終了した。

外部リンク[編集]