玉名郡木葉城合戦

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玉名郡木葉城合戦(たまなぐんこのはじょうかっせん)とは、
九州探題一色範氏と、少貮頼尚の、南朝討伐軍が、
建武五年(延元三年・西暦1338年)四月九日に、
南朝に付いた宇都宮大和太郎隆房の、肥後國玉名郡木葉城(隈本縣玉名郡玉東町大字木葉)を攻撃した合戦。

合戦経過[編集]

  • 建武五年(延元三年・西暦1338年)四月九日に、
九州探題一色範氏と、少貮頼尚の、南朝討伐軍が、
南朝に付いた宇都宮大和太郎隆房が守る肥後國玉名郡木葉城(隈本縣玉名郡玉東町大字木葉)を攻撃した。
肥後國玉名郡木葉城に、南朝の菊池武重と恵良惟澄の連合軍が、援軍で来て居たので、
肥後國玉名郡木葉城を、攻略する事が出来無かった事に由り、撤退した。

参考文献[編集]

隈本縣菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)
隈本縣玉名郡玉東町史・通史編(玉東町史編集委員会、1995年1月)
隈本縣新隈本市史・通史編・第二巻・中世(新隈本市史編纂委員会、1998年3月)

外部サイト[編集]

関係事項[編集]

山崎原合戦
森崎原合戦
犬塚原合戦
豊福原合戦
長田河原合戦
合志城合戦
竹野郡石垣城合戦
生葉郡鷹取城合戦
肥後國飽田郡國府館合戦