滋賀県愛荘町立秦荘中学校柔道部事件

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滋賀県愛荘町立秦荘中学校柔道部事件(しがけんあいそうちょうりつはたしょうちゅうがっこうじゅうどうぶじけん)とは、2009年に柔道部で技の掛け合いで部員が死亡した事件。

概要[編集]

2009年7月29日、滋賀県愛知郡愛荘町町立秦荘中学校で、中学一年生のMが上級生と技をかけあう乱取りで頭にけがを負う。柔道部は午後一時から練習しており、寝技の練習の後に、二人一組となって上級生と技の乱取りをしていた。17本目からはMら3人を残して乱取りの練習。21本目からは、Mを残してI講師自らが乱取りの相手となった。IはMに対して返し技をかけ、練習後にMは右脳の損傷が激しくて意識不明の重体となり、2009年8月24日に急性硬膜下血腫で死亡した。

刑事告訴[編集]

2010年2月25日、遺族側はI元講師を傷害致死容疑、校長を業務上過失致死容疑で滋賀県警東近江署に刑事告訴する。Iと校長は2012年3月22日に傷害致死容疑と業務上過失致死容疑で書類送検される。その後、2013年7月9日に大津地検は校長とIに対して不起訴処分とした。遺族側はこの判断を不服として、大津検察審査会に審査を申し立てた。

2014年4月9日、大津検察審査会は業務上過失致死罪での起訴相当の議決(決定は3月27日付け)をした[1]。議決では、元顧問の行為は暴行に当たるとは認められず、傷害致死については成立するとは言えないとして認めなかった[2]

2014年7月1日、検察審査会の決議を受けて再捜査した検察は再び不起訴とする方針だとした[3]。7月4日、大津地検は正式に不起訴処分とした。恒川由理子次席検事は、「元顧問に注意義務違反はあるが、死亡との因果関係は認めることができない」と説明している。

2014年11月14日、2回目の検察審査会決議では大津地検の不起訴理由にほぼ沿った形で不起訴とした[4]。顧問の指示した一般的な範囲を超えた練習によって頭部の血管を損傷させた可能性があるとしたものの、顧問の指示がなければ事故を防げたという立証が困難だとした。議決は10月21日付け[5]

民事裁判経過[編集]

愛荘町が事故原因の調査を依頼していた第三者委員会が「日常的・継続的」な体罰の存在を否定して、町側が過失と暴行を求めなかったとして、2011年3月29日に遺族側は元講師と町に約7600万円の損害賠償を求めて大津地裁に提訴。

2011年6月14日の初弁論では、安全配慮義務を怠ったなどと主張する遺族側に対して、町側はMの技能に配慮していたなどの反論をした。2011年11月の第3回弁論では、町側はMの死亡は既往症が影響した可能性があるなどと主張した。2012年1月24日の第4回弁論において、町側は初めてIの過失を認める。その後の町側は、校長の管理者責任を争うこととなった。Iは、その後も遺族と過失について争った。

2013年5月14日、大津地裁(長谷部幸弥裁判長)は、町側に約3700万円の損害賠償を支払うように命じる判決を言い渡した。判決では、Mが15本目の乱取り後に水分補給しようとしたときに水筒がある場所と全く違う方向に行こうとしていたことを指摘。柔道部顧問を4年余りしていたI講師なら意識障害が生じている可能性を認識できたとして、練習をすぐに中止して受診させなかったIの過失だと認定した。遺族側の「日常的に暴力を振るっていたIも賠償責任がある」という主張に関しては、「部員を平手でたたいたり、尻を蹴ったりした」ということは認定したが、日常的暴力については認定しなかった。校長の過失の有無についても判断はしなかった。そのうえで、公務員個人の公務の責任は町が負うべきとして、I個人の賠償責任については認めなかった。遺族はIに損害賠償を払うように求めて控訴した。村西俊雄町長は、判決を受け入れて控訴しなかった。

2014年1月31日、大阪高裁(小松一雄裁判長)は遺族側の控訴を棄却。判決では、元講師とMの死亡には因果関係があるが、「国賠法では公務員個人の責任は負わない」として、町に約3700万円の支払いを命じる一審判決を支持した。遺族側の「柔道での過酷な練習は民法の不法行為でIの個人責任が生じる」という主張に対しては、Iに部員の健康状態を監視する義務があったと認定している。遺族側は、この判決を不服として上告した。

2015年2月7日、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は5日付の決定で、遺族側の上告を退けた[6]。二審判決と同様に元顧問の過失は認めたものの、賠償責任については退けた。遺族側は「私立学校では教師の個人責任が問えるのに、公立で問えないのは不合理だ」と主張していた[7]

脚注[編集]

関連項目[編集]