松下とく枝

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松下 とく枝(まつした とくえ、安政3年(1856年) - 大正2年(1913年8月)は、明治時代から大正時代にかけての女性松下幸之助の実母。

略歴[編集]

夫は松下政楠。夫との間に長男・松下伊三郎、次男・松下八郎、3男・松下幸之助、長女・亀山イワ、次女・松下房枝、3女・松下チヨ、4女・松下ハナ、5女・有本あいの子宝に恵まれている。

明治32年(1899年)、夫が米相場に手を出して失敗し、多額の借金を抱えたので、家族を連れて夜逃げし、和歌山市内に移住。ここで下駄屋を始めるが、素人商売のため成功しなかった。そればかりか明治33年(1900年)から明治34年(1901年)にかけて、3人の子女が相次いで病死する不幸に見舞われる。下駄屋も倒産し、夫は大阪に出稼ぎに出て女手ひとつで幸之助を育てた。

明治37年(1904年)、幸之助を大阪に出稼ぎに出した。しかしその後、3女のチヨと4女のハナ、そして夫も病死し、自らも大正2年(1913年)8月に57歳で和歌山において病死した。政楠の死後は和歌山で再婚していたといわれる。