御牧藩

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御牧藩(みまきはん)とは、江戸時代初期のごくわずかな期間に山城国に存在したである。藩主家は津田氏。石高は1万3000石。三牧藩とも書かれる場合がある。藩庁は御牧陣屋。現在の京都府久世郡久御山町に存在した。

概要[編集]

この藩は山城国久世郡巨椋湖の南、木津川の東北に存在した。津田氏は織田信長の庶流の一族である。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、津田信成東軍に属したことから戦後に徳川家康から1万3000石の所領を安堵されて御牧藩が立藩する。しかし慶長12年(1607年、京都祇園において信成は狼藉を行なったことから罪とされ、同年12月に改易となり、ここに御牧藩は廃藩となってその所領は家康に収公された。なお、『徳川実紀』では信成の名は確認できず「元勝」となっている。

歴代藩主[編集]

津田家

1万3000石。外様

  1. 信成(のぶなり)