川浦渓谷

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川浦渓谷
Kaore-Canyon-signboard-s.jpg
川浦渓谷の看板
標高約460m
(川浦渓谷看板付近)
所在地日本国旗.png岐阜県
北緯35度45分
東経136度46分
山系越美山地
山の種類山間の渓谷
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川浦渓谷(かおれけいこく)とは、岐阜県関市板取地区にある板取川峡谷。川浦谷とも呼ばれている[1]飛騨・美濃紅葉三十三選に選ばれている

概要[編集]

川浦谷とも呼ばれている[1][2]。 長良川支流の板取川最上流部関市板取地区の渓谷。福井県との県境の左門岳が源流で、銚子滝・箱洞・内啣谷(うちばみたに)が合流し川浦谷川となり、西ヶ洞、海ノ溝谷(うのみぞたに)、明石谷を合流して関市板取地区杉原にいたる[3][4][5][6][7][8]。 現在は土砂崩れ等が有り最上流部の銚子滝方面は通行止めになっている。

地質[編集]

根尾村史によると本巣市根尾地区と関市板取地区境界は『本村から武儀郡板取村の境界から東方に広く分布する花崗閃緑岩や流紋岩類の深成岩や噴出岩類』(厳正さを確保するため根尾村村史 P6 6-8行目を引用)[9]によって形成されているとの記載がある。板取村史には村内全域の地質についての調査の記述が無い。このため根尾地区と板取地区を分ける左門岳および明神山の東西で地質が違う可能性が否定出来ない。

近年、町村合併により関市が板取地区の調査を進めており、調査結果によっては地質について新しい事実が判明する可能性がある。


歴史[編集]

川浦渓谷は当初は伐採後の材木を流すために活用されていた。板取村の山林から木材が切り出されたのは江戸時代以前からで、文禄3年(1594年)には山年貢を上納して自由に伐採することが認められている[10]

寛文3年(1663年)、藩用材物色のため現地調査が行われた際には尽山(つきやま)になっていて、この村は一般に岩山がちで諸木の育成が悪く藩の用材になるものは無いと藩の役人が認めている[11]

濃州徇行記 濃陽志略(寛政年間1789年から1801年に編集)の杉原村記述によると、「此村の奥山を川浦山と云う、是はカヲレ、ウンノ水、イヤヒラ三ヶ處一づづきの山也[12]」とある。

江戸時代末期になると板取村北部でも再び林業が行われるようになった。弘化3年(1846年)には農業兼林業従事者が人口の過半数を占めるようになった[13]。江戸時代末期まで林業が行われるようになったのは、杉の育成林が増加し、天然林が成長して材木の伐採がさかんになって来たことをしめしている[14]。川浦渓谷からは断木を名古屋方面に大量に出荷するようになった。断木とは丸木の雑木を長さ二尺から三尺に伐したものである[15]。伐採された材木は板取村南端の白谷地区まで流され白谷地区で筏にくみ上げられ岐阜市材木町まで板取川から長良川を経由して運ばれていた[14]

明治期より燃料が木材から石炭に取って代わられることにより、川浦渓谷は徐々に廃れていった[16]

川浦渓谷が再び注目されるようになったのは、揚水式水力発電所・奥美濃発電所の上池として川浦ダムが建設されるために道路が整備されたこと、および、建設中止になった川浦発電所のため上流部分まで道路が整備されたことによる。

旧板取村では町おこしのため、観光事業に力を入れていたため、川浦渓谷下流域にキャンプ場がいくつか建設された。

川遊び[編集]

川浦渓谷及び川浦渓谷下流の板取川には川浦渓谷朔行ポイントでもある板取キャンプ場[17]中心に、10以上のキャンプ場が有り、夏は水遊び・鮎釣り等で賑わう。また、秋は紅葉が美しく美濃・飛騨紅葉三十三選に選ばれている。冬は豪雪地帯のため観光には適しない。

ギャラリー夏[編集]

ギャラリー 紅葉[編集]

脚注[編集]

  1. a b 竹内理三 1980.
  2. 現状、略図・看板等は川浦渓谷となっており、川浦谷から川浦渓谷に名称変更になった時期については不明
  3. 渡邉 1982, p. 293.
  4. 吉岡 1980, p. 7.
  5. 洞戸村 1988, p. 3.
  6. 竹内 1980, p. 216-217.
  7. 島田・堀井 2010, p. 106.
  8. ゼンリン 2015, p. 4.
  9. 吉岡 1980, p. 6.
  10. 渡邉 1982, p. 178.
  11. 渡邉 1982, p. 178-179.
  12. 平塚 1988, p. 495.
  13. 渡邉 1982, p. 180.
  14. a b 渡邉 1982, p. 182.
  15. 渡邉 1982, p. 185.
  16. 竹内 1980, p. 217.
  17. 板取キャンプ場”. 国指定自然休養村 板取キャンプ場. 2016年10月18日確認。

引用・参考文献[編集]

  • 竹内理三(編) 『角川日本地名大辞典』 角川書店〈21 岐阜県〉、1980年9月20日、初。
  • 樋口好古、松平君山、平塚正雄(編) 『濃州徇行記 濃陽志略』 大衆書房、1988年3月20日、3rd。
  • 平凡社地方資料センター(編) 『日本歴史地名体系 第二一巻』 平凡社〈岐阜県の地名〉、1989年7月14日、初。
  • ゼンリン 『ゼンリン住宅地図』 ゼンリン〈関市3(洞戸・板取・武芸川)〉、2015年10月。ISBN 978-4-432-39397-8
  • 島田靖、堀井啓介 『新・分県登山ガイド20』 山と渓谷社〈岐阜県の山〉、2010年1月1日。ISBN 978-4-635-02370-2
  • 渡邉賢雄 『板取村史』 板取村教育委員会、1982年5月、初。
  • 吉岡勲(村史監修指導者)、江崎阡二(村史編集委員会委員長)、畑中正一(村史専門委員会委員長) 『根尾村史』 根尾村、1980年8月31日、初。
  • 洞戸村村史編集委員会(編集) 『洞戸村史』上巻、洞戸村、1988年3月、初。