安田純平

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安田 純平(やすだ じゅんぺい、1974年3月16日 - )は、フリージャーナリスト

経歴[編集]

1974年3月16日、埼玉県入間市に生まれる。1993年3月埼玉県立川越高等学校44回卒業。1997年3月、一橋大学社会学部卒業。1997年信濃毎日新聞入社。

2003年1月、信濃毎日新聞社を退社し、フリージャーナリストとなる。2003年2月からイラクに入る。

2004年4月14日、イラク武装勢力に拘束されるも、3日後の4月17日に解放された。2007年にイラク軍訓練基地建設現場に料理人として潜入し、その体験をもとに『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』をまとめる[1]

2015年6月下旬にトルコ南部からシリアに向かった。同年7月3日に、現地の人から「安田さんと連絡がつかない」と連絡があり、7月4日には武装勢力に拘束されていることが判明した[2]

2015年12月23日に「国境なき記者団」が「安田さんの拘束者が身代金要求をしている。期限内に金を払わないと、殺すか、他の組織に売ると言っている」と声明で発表した[3]12月28日、国境なき記者団は「確認が不十分だった」として、声明を撤回した[4]

2016年5月20日、安田純平とみられる人物が「助けてください これが最後のチャンスです 安田純平」と日本語で書かれた白い紙を手にした映像がインターネットで公開された[5]7月にはインターネットで映像が公開された際、「私の名前はウマルです。韓国人です」などと安田自ら発言しており、様々な憶測を呼んでいる。

2018年10月23日菅義偉官房長官は記者会見を開き、安田純平が解放されたとの情報がもたらされたことを公表した[6]

2018年10月25日、安田純平は、成田空港に帰国し、家族と再会した[7]

シリアでの拘束[編集]

2015年7月頃からのシリアでの武装勢力による拘束中、24時間身動きしてはいけないと要求されるなど虐待状態が続いていたが、拷問はなかったと語る[8]

安田の拘束の経歴[編集]

自己責任論争[編集]

安田純平に対しネットを中心とした「自己責任論」による批判が起きている[10]。批判の根拠は、安田自身が、

  • 戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん」(2015年4月3日の安田のツイッター)
  • 俺が自己責任で戦場に行っているのだから日本政府は規制を図るな。口を出すな

などと発信していたためである[11]

安田の拘束前のツイッター[11]には、

  • 自己責任について私に聞きたいと言う方は、まずは自分がどう考えるかを明示してください。はっきり言って自己責任論というのは論として成立していないので、こちらからそれについて想像して語るのは昔やりましたがもうやりません。ちなみに私は自己責任について否定したことは一度もありません」(2015年4月3日)
  • シリアのコバニには欧米からもアジアからも記者が入っていて、フェミニストの若い女性やら学生メディアやってる大学生やらまで集まっているが、日本は経験ある記者がコバニ行っただけで警察が家にまで電話かけ、ガジアンテプからまで即刻退避しろと言ってくるとか。世界でもまれにみるチキン国家だわ」(2015年6月20日
  • 現場を否定するということは個々の人間の存在を否定するに等しいと思う。せっせと取材の邪魔をする安倍政権とかその支持者とか、現場なんか見なくてもネット見てれば全て分かるとか言っているネトウヨとかネトサヨ陰謀論者とか、根本的な問題としてそのあたりが共通してあるのだと思って見ている」(2015年6月21日
  • トルコでも爆破事件があったし、コバニなんてあのあたりではかなり安全といえるんでないか。いまだに危ない危ない言って取材妨害しようなんて恥曝しもいいところだが、現場取材を排除しつつ国民をビビらせたうえで行使するのが集団的自衛権だろうからな」(2015年6月20日)

などと、いずれも自己を正当化して政府を批判する内容のものが多かった。

それでいて拘束されてからは、

  • 助けてください。これが最後のチャンスです

と直筆でメッセージを送ったり、

  • 忘れないでほしい。あきらめないでほしい

と日本政府に助けを求めたりしている。このため、安田に対する批判がネットなどでは噴出するのもやむを得ないという見方がある。

そもそもしっかりした安全対策が取材者の責任とする見解もある[12]。救出に際してカタール政府が3億円を用意したと報道されており[13]、これは日本政府が何らかの形でカタールに補填を行うことは確実である。この点でも「安田は叩いていたお国に金を出させた」「実質テロリスト支援」などと厳しい意見がある。

一方、マスコミジャーナリストは「勇気ある行為、伝えることは崇高な使命」と擁護している者が多い[14]。そのひとりである玉川徹は「安田さんは仕事で避難勧告を無視した人と同じ」紛争地帯に飛び込むフリージャーナリストの役割の大きさを力説した。さらに「自己責任論というのを僕は否定しておきたい。安田さんを「英雄として迎えないでどうするんですか」などと発言した[15]。これについてはネットでは多くの批判がされている。

著書[編集]

  • 『囚われのイラク-混迷の「戦後復興」-』現代人文社,2004.5,ISBN-10: 4877982124
  • 『誰が私を「人質」にしたのか-イラク戦争の現場とメディアの虚構-』PHP研究所,2004.12,ISBN-10: 4569640176
  • 『「自己責任論」の本質-イラク人質事件の当事者となって』(『ジャーナリズムの条件 3』所収,岩波書店,2005.4,ISBN-10: 4000263994
  • 『ルポ戦場出稼ぎ労働者』集英社,2010.3,ISBN-10: 4087205363

参考文献[編集]