唐梅院

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唐梅院(とうばいいん、? - 寛永16年7月3日1639年8月2日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性松平康親の娘。井伊直政正室。名は

経歴[編集]

父は松平康親。母はその正室である江原政秀の娘。天正10年(1582年)に徳川家康養女とされ、さらに井伊直政の許嫁に選ばれた。天正12年(1584年)に井伊直政に嫁ぐ。

直政との間には、長女の清泉院松平忠吉正室)、嫡男井伊直勝、次女の徳興院伊達秀宗正室)の1男2女を授かっている。慶長7年(1602年)に直政が死去し直勝が跡を継ぐと、幼少の直勝を後見して彦根藩の藩政を見た。しかし、直勝は生来から病弱で、側室印具夫人が生んだ井伊直孝のほうが力量は優秀だったことから、家康は慶長19年(1614年)に井伊氏に介入して直勝を上野国安中藩主とし、直孝を彦根藩主に据える決定をした。この裁定に唐梅院は反発し、家康や徳川秀忠に対する直訴を企てたという。しかし、家康は唐梅院に安中への移住を命令し、それに従って安中に移った。

以後の唐梅院は藩政を見ることも直勝を後見することもなく、ひたすら亡き夫の冥福を祈っていたという。寛永16年(1639年)7月3日、安中で死去した。

なお、元々の法名は東梅院であったが、家康が死去して東照神君という神号を称するようになったので忌諱し、唐梅院と改めたといわれている。