千葉県の官軍塚

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千葉県の官軍塚(ちばけんのかんぐんづか)とは、現在の千葉県勝浦市川津1394に存在する明治時代の官軍碑・塚であり、千葉県指定の史跡である。

概要[編集]

この塚は外房の最東端、海抜70メートルのひらめヶ丘に建つ勝浦灯台からおよそ1.5キロの地点、太平洋を見下ろす高台上に存在する。

江戸時代から明治時代に時代が移る際の明治元年(1868年)の戊辰戦争で、函館五稜郭に拠っている旧江戸幕府軍の榎本武揚を攻めあぐねた陸奥国弘前藩主の津軽承昭は、実兄の肥後国熊本藩主の細川護美に救援を求め、護美は援軍を送ることに決め、横浜アメリカの汽船を雇って寺尾九郎右衛門の指揮する肥後十二番大隊、重土隊、五番隊、十四番隊など合わせて350人余りを乗船させて明治2年(1869年)1月2日に北海道へ向かわせた。しかし1月3日の、勝浦川津沖で暴風雨に遭い、岩礁に乗り上げて船が難破し、130数人の死者が出る惨事となった。この時の遭難者を埋葬供養したのが官軍塚である。

明治11年(1878年5月に建立された藤田九万の撰文からなる「華立巌碑」と、昭和44年(1969年2月に100年忌を記念して建立された「官軍塚碑」が並んで建立されている。また近くの日蓮宗津慶寺には、犠牲者の過去帳と、明治25年(1892年)に建立された「熊本藩兵座骸碑」がある。

アクセス[編集]