井伏鱒二

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井伏鱒二(いぶせ ますじ、1898年2月15日-1993年7月10日)は、日本の作家。

人物[編集]

広島県深安郡加茂村に、旧家で地主の次男として生まれた。本名・満寿二。早稲田大学文学部仏文科に進むが、教授の片上伸が同性愛者で、迫られたことから退学を余儀なくされる。在学中に「山椒魚」(元の題は「幽閉」)を発表したが、そのまま作家としての歩みにはつながらず、作家の取材記事などを書いて糊口をしのぐ。1929年に「屋根の上のサワン」を発表し、この頃文壇的地歩を築き、太宰治を弟子にする。

1937年「集金旅行」、38年「ジョン万次郎漂流記」で直木三十五賞を受賞。同年「さざなみ軍記」、39年「多甚古村」を発表。

戦後は1950年に「遙拝隊長」、「本日休診」その他により読売文学賞、56年「漂民宇三郎」などにより日本芸術院賞受賞、57年「駅前旅館」、60年、日本芸術院会員となる。65年「黒い雨」を連載し、これにより66年野間文芸賞を受賞、同年文化勲章を受章した。

盗作・代作問題など[編集]

ロシアの日本文学研究家グリゴリー・チハルシビリ(ボリス・アクーニンの名で推理小説も書く)は、井伏の「山椒魚」を、ロシアの作家サルティコフ=シチェードリンの「頭のいいスナムグリ」そっくりだとして盗作説を唱えたが、井伏が書いた当時この作品の日本語訳はなく、比べると似ていないので、冤罪である。

ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」シリーズを訳したことでも知られるが、実際に訳したのは編集者の石井桃子である。

「ジョン万次郎漂流記」は、元ネタとなった本がある。

「黒い雨」は、広島の重松静馬から借り受けた日記をもとにして書いたものだが、作家・評論家は、井伏独自の表現があるはずだと主張してきた。だが実際に断片的な調査で、元の日記にあったことがはっきりしたものもあり、2001年に『重松日記』(筑摩書房)が刊行されると、研究者では比較対照する者はいたが、文壇では誰もが沈黙してしまった。