上田 鳳陽(うえだ ほうよう、1769年 - 1854年)は、日本の儒学者である。山口県の出身。 江戸時代後期の儒者。
1769年、山口県の生まれ。山口県長門・萩の藩士。藩校明倫館で学ぶ。 郷里の周防山口に戻り、1815年(文化12年)、山口講堂(のちの山口明倫館)を開き、これが山口大学の淵源となる。 「防長風土注進案」の山口編の編集を行なった。1853年(嘉永6年)12月8日にこの世を去る。 本姓は宮崎。名は纉明(つぐあき)。字(あざな)は恭述。通称は幾之允、茂右衛門[1]。