ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ソ・レソ・レソレソシレ
- アイネ・クライネ・ナハトムジーク K. 525
シラソ#ラド・レドシドミ・ファミレ#ミシラソ#ラシラソ#ラド
- ピアノソナタ第11番 K. 331 第3楽章「トルコ行進曲」
俺の尻をなめろ
- 6声のカノン K. 231 (K. 382c)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart、1756年1月27日 - 1791年12月5日) は、ザルツブルク出身の神聖ローマ帝国、オーストリアの作曲家。完璧な古典派音楽・ウィーン古典派を代表する存在である。J.S.バッハの孫世代、ハイドンの子世代、ベートーヴェンの半世代上ぐらいに相当し、皇帝レオポルト2世と同世代。オペラ、協奏曲、交響曲、ミサ曲、レクイエム、弦楽四重奏曲などの室内楽曲、ピアノ・ソナタ、ヴァイオリンソナタなどの独奏ソナタなど数多くの作品を作った。あらゆるジャンルで最高傑作を書き残している。
作品番号はルートヴィヒ・フォン・ケッヘル(正確にはケッヒェル)の作品目録に基づく「ケッヘル番号(正確にはケッヒェル番号)」(英語圏では「K. ◯◯◯」、ドイツ語圏では「KV. ◯◯◯」)が一般的に用いられる。
生涯[編集]
1756年、ザルツブルク大司教領生まれ。父レオポルトも有名な音楽家で、父親から早期教育を受けて巧みな演奏を行い、「神童」「音楽の天才」に仕立て上げられた。幼少から鍵盤楽器奏者、作曲家として活躍し、ヨーロッパ中を演奏旅行した。成人してからは紆余曲折を経てウィーンに定住して作曲活動を行った。生涯に600以上の曲を作り、歌劇『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』などで成功を収めたが、浪費癖やギャンブル愛好から経済的に安定せず、1791年に、35歳で貧困のうちに生涯を閉じた。
代表曲[編集]
- 歌劇
- 交響曲(全41曲+α?)
- ピアノ協奏曲(全27曲、主要作曲家の中で最多とも言えるが、最初の4曲は他人の曲を編曲したものなので実質的には23曲である)
- ピアノソナタ(全18曲)
- セレナーデ
- アイネ・クライネ・ナハトムジーク ト長調 K. 525
余談[編集]
- モーツァルトが1791年12月に35歳で亡くなったからこそ、モーツァルトが「完璧な古典派」の範囲でいられるのではないか、とする考えもある。早世したために活躍した時期がベートーヴェンと重ならなかったが、もしモーツァルトが長生きしていれば、ベートーヴェン同様に古典派からロマン派への移行期にも作曲を続けていた可能性もある。音楽学者の海老沢敏は、かつてNHKのテレビ番組の中で「もしモーツァルトが長生きしていたとしても、ベートーヴェンに完全に打ち負かされ時代遅れな存在になっていただろう」と述べていた。
- かつてソフトバンクのCMで、おとうさん犬がモーツァルトの真似をして音楽を聴いている回があった。でも、そこで流れていた曲は、モーツァルトの存命中には存在していなかったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番であった。