レオポン

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
レオポン
分類
動物界
脊椎動物門
哺乳綱
食肉目 (ネコ目)
ネコ科
ヒョウ属
レオポン
名称
学名Panthera pardus♂ × P. leo
和名レオポン
英名Leopon
保全状況

レオポンとは、雄のヒョウと雌のライオンの雑種である。

概要[編集]

名前は、「leopard」の「leop」と「lion」の「on」を組み合わせたかばん語である[1][2]。レオポンと反対に、雄のライオンと雌のヒョウの雑種は、「ライパート (Lipard)」と呼ばれる。

記録されている最古のレオポンは、1910年インドコールハープルで誕生した。

このインドのレオポンは2頭生まれたが、その内1頭が2か月後に亡くなった。残った一頭は1912年時点でも生存していたことが記録されている。

異種交雑すると生殖能力がなくなることが多く、レオポンも生殖能力がなかった[1]

異種を交配されるのは「自然の摂理に反する」と批判があり、1965年以降、レオポンは作られていない[3][4]

[編集]

体長は、ヒョウより大きい。体毛は、ライオンの幼獣のような淡黄褐色[5]

薄い黒褐色のヒョウ紋があり、雄はたてがみがある。尾は房状になっている[5][3]

頭部と4肢は、ライオンに近く、耳はライオンと同じ。胴部は、ヒョウの幼獣に似る[5]

妊娠期間は、ライオン[注 1]とヒョウ[注 2]の中間の106日である。

日本のレオポン[編集]

日本では、阪神パークでレオポンが生まれた事例がある。

レオポンを生ませるために、1955年から生後1年未満のオスのヒョウの「甲子雄かねお」とメスライオン「園子」の同居された[2]

1959年11月2日16時半に第1号になったオスのレオポンが生まれ、翌日の早朝に第2号となるメスが誕生した。名前は、公募から「レオ吉」「ポン子」と命名された[2]

平日でも阪神パークのレオポン舎に観客が押し寄せ、魔法瓶や市販薬のキャラクターになるほど人気があった[3]

1965年には「ジョニー」「チェリー」「ディジー」の3頭が誕生している[4][2]

1985年7月に、最後のレオポンの個体であるジョニーが老衰で死亡した[3][1]

剥製[編集]

5頭は剥製になり、阪神パークが閉園後、西宮市天王寺動物園国立科学博物館に引き取られた[4]

2015年11月の17~22日に、兵庫県西宮市の市立北口ギャラリーで、市制90周年を記念し「レオ吉」と「ポン子」の剥製が展示"[4]

西宮市に引き取られたジョニーの剥製は、リゾ鳴尾浜で常設展示されていたが[4]COVID-19の影響で2020年11月に廃業し、保存・展示場所をどこにするか検討している[3][6]

ジョニーの剥製は、日光が当たる場所に置いてあったため、退色が進行しており、ヒョウ紋が薄くなっている[6]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. 120日
  2. 95日
出典
  1. a b c ブルーバックス編集部 (2021年7月19日). “ヒョウとライオンから生まれた「レオポン」、最後の一頭が亡くなった日”. gendai.media. https://gendai.media/articles/-/85288 2022年9月2日閲覧。 
  2. a b c d 田中真治 (2002年10月5日). “幻のレオポン、はく製はどこへ 来春閉園の阪神パーク”. www.kobe-np.co.jp (神戸新聞). https://web.archive.org/web/20090725093457/https://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/021005ke77760.html 2022年5月23日閲覧。 
  3. a b c d e 山岸洋介 (2021年3月13日). “懐かしのレオポン…安住の地はどこに 地元施設がコロナで廃業”. www.kobe-np.co.jp (神戸新聞). https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202103/0014148020.shtml 2022年5月23日閲覧。 
  4. a b c d e “ちょい怖?西宮で「レオポン」の剥製展示 昭和30年代生まれ、阪神パークで飼育”. www.sankei.com (産経新聞). (2015年11月18日. https://www.sankei.com/article/20151118-GU2DQR44NVK6BC3TC77K5KSFAM/ 2022年5月23日閲覧。 
  5. a b c 森岡義成「レオポンの創造について」、『日本獣医師会雑誌』第13巻第4号、日本獣医師会、1960年、 172-173頁、 doi:10.12935/jvma1951.13.172
  6. a b 山岸洋介 (2021年3月14日). “レオポン続く受難 17年で毛皮退色 展示施設廃業で“すみか”失う”. www.kobe-np.co.jp (神戸新聞). https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202103/0014149731.shtml 2022年5月23日閲覧。