ピエール瀧

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ピエール瀧 (ピエールたき、1967年4月8日 - ) は静岡県静岡市葵区出身のミュージシャン・俳優・タレント・YouTuber。本名は正則 (たき まさのり) 。電気グルーヴのメンバー。血液型はAB型。

ミュージシャンとして[編集]

静岡県静岡市出身。高校時代は野球一筋の典型的な野球少年であったが、ある日チームメイトの伊東忠(イトチュー)に後に盟友となる石野卓球を紹介される。ちなみに、石野との初対面の会話は、「よぉ!お前が瀧っての?」であった。

そして、卓球に「お前が好きそうな曲があるから」と紹介されたニューオーダーの「ブルーマンデー」に衝撃を受け、瀧の人生が大きく狂うこととなる。

その後、卓球のバンド人生に第3回ライブより加入。当時は畳三郎という名で活動しており[1]、楽器は弾かず、ドラえもん、ゴルゴ13、殿様など様々なコスプレを行いステージ上を暴れていたが、卓球を始めメンバー全員がキチガイじみたパフォーマンスを行う人生においてはイマイチ目立てず、初期から末期まで長期間在籍した固定メンバーにも関わらずメンバーの中では人気は低いほうだった。また、「調子にのってる」という理由で一度クビになったことがある(すぐに復帰)。この経験は、後述の電気グルーヴの活動において瀧に唯一無二の役割を与えることとなる。

その後、卓球に『やっぱ一緒にやらねぇ(か?)』と誘われ、人生解散翌日の1989年4月27日、石野卓球、若王子耳夫高橋嵐と共に電気グルーヴを結成する。

結成当初は「ピエール畳」として活動していた[2]が、偶然スポーツ新聞で目にした「NOKKOSHAKEと婚約」という見出しの意味のわからなさに衝撃を受け、自身の芸名について年配の方が見たら訳が分からないのではないかと思い、本名の「瀧」を加え現在の「ピエール瀧」となった。

電気グルーヴでは初期から現在に至るまでステージ前面で暴れつつ歌うというスタイルで活動しており、かつてテレビ番組で役割を聞かれた際に「瀧です。」と答えたことから、現在では瀧パート担当として定着している。 ただし、音楽的な活動が全くできないという訳ではなく、作詞を行うことは多く、作曲についても富士山、ピエール瀧の体操シリーズ(30歳、36歳、42歳)などの楽曲を手がけている。

この他、レーベルの代表に「瀧、おもしろいから演歌出せよ」と言われた事をきっかけに演歌歌手「瀧勝」としてデビューしたことがある。

俳優、タレントとして[編集]

電気グルーヴのメンバーとして1991年1993年にかけて電気グルーヴ関連の番組にいくつか出演している他、1991年6月〜1994年3月まで石野卓球と共に電気グルーヴのオールナイトニッポンのパーソナリティーを務めていた[3]

電気グルーヴとあまり関係ない単独の活動としては、1994年のポンキッキーズが初となる。1994年から出演し、独特のキャラクターから人気を博し、1999年まで同番組に出演した。 これがきっかけとなり役者としても評価されるようになり、2000年代以降、俳優としての出演が多くなる。主な出演作品に連続テレビ小説あまちゃん』(無頼鮨大将・梅津役) 、『64 (ロクヨン)』(三上義信役、主演) などがある。

後述の不祥事の際レギュラー番組を全て降板となって以降メディア出演はなくなり、2023年現在は再び電気グルーヴメンバーとしての出演が中心となっている。

人物[編集]

実家は畳屋であり、人生時代の芸名の由来とされるが、後に放映された瀧の実家はどう見ても畳屋ではないため、嘘の可能性がある。

高校時代まで野球少年であり、静岡東高等学校では5番ファーストであった。3年の時には合法的に甲子園のグラウンドに入れるという理由で阪神の入団テストを受けている。 1994年頃に草野球チーム「ピエール学園」を結成し、現在も活動を続けている。

不祥事[編集]

電気グルーヴ30周年ツアーの真っ最中だった2019年3月12日夜、危険ドラッグであるコカインを使用したとして、麻薬取締法違反容疑で逮捕された。4月2日に起訴され、4月4日に保釈。

6月18日東京地裁は瀧に懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を下した。

この不祥事により、当時瀧が出演していた大河ドラマいだてん〜東京オリムピック噺〜』は三宅弘城が代役を務め、冠番組『ピエール瀧のしょんないTV』は打ち切りとなった。また同じく自身が出演していたLIXILのCMは放映中止となった。電気グルーヴとして出演予定だったロックイベントも石野卓球のみのソロ出演となった。一方、映画『麻雀放浪記2020』などは予定通り公開された。

不祥事の発生直後、Wikipedia日本語版の自身のページは荒らされ、例えば名前が「コカイン瀧」や「野獣先輩」などに変えられたり、没年月日が付け加えられて死亡扱いになったり、出演番組も『とと姉ちゃん』や『アナと雪の女王[4]がそれぞれ「コカ姉ちゃん」や「コカインと雪の女王」に変えられたりするというトラブルとなった。そのため、当該ページは一時的に保護がかけられた。

2019年4月2日前述の不祥事により所属事務所のソニー・ミュージックアーティスツから契約を解除された(その後、石野卓球が設立したmacht inc.に移籍した。)。

余談だが、瀧の娘がテレビでお笑いコンビのナイツが漫才で瀧を弄っている[5]のを見て爆笑し、さらには瀧が釈放時に東京湾岸警察署で行った挨拶を完コピしていたことが後に明かされた。

石野卓球との関係[編集]

上述の通り石野卓球とは人生時代含め40年近くバンドメンバーとして行動を共に盟友であり、生涯の友を通り越しもはや家族と呼べる関係である。

この関係の深さが最も現れたのが前述の不祥事の時であり、世間から犯罪者としてバッシングを受け続ける瀧を卓球はメディア対応、twitterの両面でフォローし続けた。瀧も「唯一の楽しみが朝起きて卓球のツイートを見ることだった」と語っている。

脚注[編集]

  1. なお、人生時代の芸名はコロコロ変わっており、一時人生をクビになり女装して復帰した際の「瀧レモン」をはじめさまざまな芸名がある
  2. イギリスやアメリカ系の名前のメンバーは多かったが、フランスはあまりいなかったという理由
  3. 当時のもう一人メンバーまりん(砂原良徳)はピンチヒッターとして稀に出る程度であった
  4. オラフ役で吹き替えを務めた。
  5. ナイツは逮捕以前より電気のフォロワーを自称しており、2023年には自身の番組でゲストとして呼ぶなど瀧との関係は良好である。そもそもこのエピソードも番組内で明かされたものである