ドイツ唱法

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ドイツ唱法(ドイツしょうほう)とは、とある日本のオペラ歌手が、自らの考える「ベルカント唱法」と異なる発声法を「ドイツ由来のものである」と考え、それらに対して貼り付けた不適切なレッテルである。本来のドイツオペラやドイツ歌曲の歌唱様式の伝統とは何ら関係が無い。

概要[編集]

歌を歌う際の腹式呼吸法を大きく分けた場合、古くより、歌唱時に腹壁を外側へ張る方法(ベリーアウト)と腹壁を内側へ凹ませる方法(ベリーイン)の両者が存在し、その優劣は様々に論じられてきた[1]。「ドイツ唱法」なる言葉を広めた日本のオペラ歌手は、自らがイタリアへ留学した際に、日本で教えられたベリーアウトではなく、ベリーインを指導されたために、ベリーインがイタリアの「ベルカント唱法」であり、日本で教えられたベリーアウトはイタリアに次ぐオペラ大国であるドイツから日本に伝えられたものであろうと考え、これを「ドイツ唱法」と呼んだ。

ベリーアウトとベリーインの優劣については、それぞれ一長一短があり、一概に結論づけられないが、歌声の音響の研究により世界的に名高い音楽学者ヨハン・スンドベリは、様々な科学的実験の結果、歌唱中に横隔膜を収縮(=腹壁を張る、ベリーアウト)させると「喉詰め発声から遠ざかる」「(声門の)閉鎖期が長くなり調音が安定する」[2]としており、仮に「ベリーアウト=ドイツ唱法、ベリーイン=ベルカント唱法」とするなら、単に歌声の良さだけで言えば「ドイツ唱法」に優位性がある事になる。

しかし、イタリアに留学してベリーアウトを学んだ者もおり[3]、ベリーアウトがイタリアの歌唱様式に反するものだとも、またドイツ由来であるとも断ずることはできない。また、ロッシーニによれば「ベルカント」は19世紀の半ばにはイタリアでも既に失われており、現代のイタリアへ行っても本来の「ベルカント」唱法を学ぶことはできない。つまり、「ベリーアウト=ドイツ唱法、ベリーイン=ベルカント唱法」という考え方は、明確な根拠のない出鱈目な憶測に過ぎない。

声楽の発声・歌唱におけるイタリア様式とドイツ・オーストリア様式の違い[編集]

上記のように、時代様式の違いを無視してイタリア式発声を十把一絡げに「ベルカント」と呼んだり、ましてや「お腹を凹ませて呼気すること」を「ベルカント」と呼ぶ事は無知による暴論であり、さらにイタリア風でない発声に「ドイツ唱法」などという珍妙な名称をつける事は滑稽の極みである。

以下では、現代では死滅した「ベルカント」や、珍妙な造語である「ドイツ唱法」という言葉は避け、現代の声楽の発声・歌唱におけるイタリア様式とドイツ・オーストリア様式の違いを述べる。

  • イタリア様式では全ての母音が明るく輝かしく響くことが重視される。
  • ドイツ・オーストリア様式では音色に明暗の陰影があることが求められる。
  • イタリア様式では「マスケラ」と呼ばれる頬骨よりも上の顔面部分への共鳴が重視される。
  • ドイツ・オーストリア様式では、顔面部分への共鳴は音色を過度に明るくする幅広いアンザッツより、顔面中央の鼻の頭の鼻腔共鳴が重視され、その他に前頭部や頭頂部などの頭部共鳴も重視される。
  • イタリア様式ではフェロモンの漂うようなセクシーな歌唱が好まれる。
  • ドイツ・オーストリア様式では質実剛健で誠実・清純な歌唱が好まれる。

参考文献[編集]

  • ヨハン・スンドベリ『歌声の科学』榊原健一監訳、東京電機大学出版局、2007年。
  • 萩野仁志、後野仁彦 『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム : いまの発声法であなたののどは大丈夫ですか』 音楽之友社、2004年。ISBN 4-276-14212-1。

脚注[編集]

  1. スンドベリ 2007, pp30-31
  2. スンドベリ 2007, pp92
  3. 後野 2004