アレア

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アレア(Area/AreA)はイタリアのバンド。「インターナショナル・ポピュラーグループ」という自称を掲げ、イタリアン・プログレ内においても特に攻撃的なサウンドで現在も高い人気を誇るバンドである。

左からパオロ・トファーニ、ジュリオ・カピオッツォ、アレス・タヴォラッツィ、デメトリオ・ストラトス、パトリツィオ・ファリセッリ。

概要[編集]

1972年デメトリオ・ストラトス(Vo)、ジュリオ・カピオッツォ(Ds)、パトリツィオ・ファリセッリ(Key, Synth)の3人を中心に結成。その後メンバーチェンジを幾度と繰り返しながら高い技術でフュージョン、ジャズを土台にバルカン、地中海地方の伝統的フレーズ、電子音楽等を融合させ、デメトリオのアクの塊的ヴォーカルが強烈な印象を残す楽曲を多数を発表している。左翼的見地から立った文明批評的歌詞が多く、イタリア共産党の大会などで演奏するなど、当時のイタリア学生たちの間においても重要な役割を持つバンドであった。

ジャンルとしてプログレッシブ・ロックの範疇に入ることが多いが、わかりやすく例えるとバルカン風味フリージャズ+デメトリオ・ストラトスといったアヴァンギャルドそのものな音楽性。それほどまでに彼の声や歌唱法は独特かつ強力で、好き嫌いがはっきり分かれる所以ともなっている。

1979年デメトリオの急死によって一旦活動に区切りをつけ、幾度と再結成をしていたが2000年にバンドの方針を巡ってカピオッツォとファリセッリが口論していた所、突如カピオッツォが癇癪の発作を起こし倒れ、ファリセッリに抱かれながら死んだ。そのためバンドはついに解散を発表するのだが、アレアらしく尋常な終わり方ではない。

来歴[編集]

デメトリオ在籍時(1972~1979)[編集]

Ribelliというバンドにキーボード奏者として入ったデメトリオは、1971年にカピオッツォと出会い、後にPFMのメンバーとなるヤン・パトリック・エラルド・ジヴァス(B)、レアンドロ·ガエターノ(P)の4人でジャズを演奏しながらイタリア国内のクラブをドサ廻りしていた。そこにヴィクター・エドゥアルド・ブスネッロ(Sax、フルート)とジョニー・ランビッツィ(G)が加入しロック色を加え、その後ガエターノの代わりに兵役から帰ってきたカピオッツォの幼馴染ファリセッリ(ガエターノより高性能)が加入、PFMやバンコのマネージャーの勧めによりロンドン在住のパオロ・トファーニを新しいギタリストとした。(これが「自由への叫び」レコーディングメンバーとなる。)

1973年にはデザイナーのジャンニ・サッシ(1938~1993)の結成したクランプス・レコードからの第一弾アーティストとして「自由への叫び」を発表。当時の政情不安なイタリアを現した極めて政治色の強い真っ赤赤な歌詞とジャズミュージシャン顔負けの楽器隊に力強いデメトリオの声が加わりイタリアの若者たちに強い印象を残した。数々の音楽フェスティバルや共産党の党大会に呼ばれることとなったバンドは積極的にライヴ活動を展開、翌年にはサックスのブスネッロが脱退し、シヴァスもPFMに加入し代わりにジャズベーシストのアレス・タヴォラッツィが加入。「汚染地帯」ではよりアヴァンギャルドや現代音楽に近づいた内容となった。

1974年に発表した三枚目のアルバム、「クラック!」ではイタリア内の賞を数多く受賞、欧州各国へのツアー展開など充実した活動を見せる。1975年のツアー終了後、バンドはいったん活動を休止し、メンバーのソロ活動やフリー・ジャズ業界とのセッション期間に入った。

1976年にバンドは新譜「呪われた人々」を録音。フリージャズ業界からスティーヴ・レイシーやポール・リットンなどのゲストを多数招き、よりアヴァンギャルドな音楽性を構築。ヨーロッパ中を駆け回り盛んにツアーを行う。しかし1978年にギターのトファーニが脱退、バンドはキーボードカルテットという珍しい編成となった。1978年に発表されたアルバム「1978」ではギター脱退の穴を感じさせない超絶テクによるキーボードロックやアコースティックながら熱い演奏を展開し、デメトリオのヴォーカルにもより比重が置かれソリッドな作風となった。短期間のツアー(この時期のライヴ活動は具体的には不明)を行うが、デメトリオが新たな可能性を模索しバンドを脱退、ソロ活動を始めるも間もなく病に倒れ1979年6月13日、34歳の若さで世を去る。

彼の死の翌日行われた追悼コンサートでは6万人の観衆とイタリア屈指のバンドと共に演奏を行い、翌年の1980年アルバム「ティック・タック」を発表するが、デメトリオという音楽的支柱を失ったためか、パッとしないままアレアは活動を休止することになる。

再結成1[編集]

再結成2[編集]

ディスコグラフィー[編集]

スタジオ[編集]

ライヴ[編集]

彼らはライヴでも卓越した演奏能力を発揮し、即興を織り交ぜた非常に完成度の高い演奏で高い評価を得た。しかし現在判明している現役時代のツアー日程(南米チリまで遠征したと言われているが具体的な時期は不明)や録音、映像などが非常に限られており(1973年と1978年の公演はそれぞれ一公演ずつの音源が知られるのみである)、今後の発掘が望まれる。