という意見もあるが

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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という意見もあるが(―いけん―)とは、エンペディアなどにおいて、「自分の意見を押し通したい輩が、他の執筆者の意見が邪魔だと思ったときに使用される言葉」である。

概要[編集]

まず、何がカチンとくるのかというと、「が」で終わっているところである。「~という意見もあるが。」だと、「それで?(So what?)」という気分になる。
エンペディアは他のWikiに比べて緩く、よく言えば自由なWikiであるといえる。そんな場所で、「おれがおれが」と出しゃばりたい、いわゆる「自己中心的」「利己的」「我欲的」な人が、この言葉を用いて議論を打ち切ろうとする。しかし、この言葉を使われた相手は非常に嫌な思いをするため、誰を傷付けても構わないというメンタルの強い者や、ナノソレオイシイノな鈍感な人のみ使うことを強くおすすめする。ただ、相手がそもまま引っ込むとはかぎらない。

Enpediaにおける現状[編集]

ちなみに、「という意見もあるが」で検索をかけると23件出てきた。「少ない」と思う人もいるだろうが、今後も増えていくことは確実である。「という意見があるが」では5件、「という意見もあるが」との重複なしでは4件だった。合計27件。
こういうとき、「これに対して」と反論してくる奴がいないとか、「という意見もあるにはあるが、」とか反論されることを想像しないというのは「脇が甘い」だろう。

なお、前述の23件のうち18件は同一利用者により当該文言が加筆されており、うち15件がほかの参加者の記述に対して使用されていた。

反応[編集]

さて、前述では「これを使われたら嫌な思いをする」とある。具体的にどうなのかを説明しよう。

自分の意見を否定された気がする[編集]

これが一番大きい。おおむね「○○という意見もあるが、△△(こっちが主流である)」的に受けとられがちだからである。「悪質極まりない嫌がらせである」とも受け取られがちであり、それを知りつつこの言葉を使用する者はそれを狙っている。しかし、そのことに気付いていないふりをする。「なので、是非教えるべきである。WIN-WINである」という優しい意見もあるが、教えて直るようなもんなら最初からやるまい。かといって消すのもエンペディアの方針に反する。ここは真っ当に打ち返すのがよかろうと思う。

マンネリ化する[編集]

「という意見もあるが」「という意見があるが」など表現が変わる時もあるしせよ、マンネリ化を招く。これは、語彙力がない証拠である。大体、「諸説があり」で済む。「他にも」「別の人は」「という意見も存在する」などは、「こいう意見もあるのですが、あなたはどう判断しますか?」という問いかけであるため建設的な行為である。
「お前ら他人のことはどうでもいいんだよ。俺の言う通りに判断してりゃいいんだよ」的な行動を取る奴を放ったらかしていたら、その記事はおろか、エンペディアどころかネット文化全体の衰退に繋がる。

支離滅裂な文章になる[編集]

文章が入れ子になった複雑な重文になるため、十分に激ウマギャグ検討したうえで効果的に使わないと、支離滅裂な文章になってしまう。

対策方法[編集]

効果的な対策が一つある。

発見したら取り除け 発見したらおいしく料理してみんなで楽しもう

関連項目[編集]