貫木屋

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貫木屋(ヌチギヤー)は、沖縄県地方の伝統的な民家建築。貫屋(ヌチヤー)とも呼ばれる。名称は柱に貫を通すためで、これ以前の掘立小屋は穴屋と呼ばれた。

概要[編集]

地盤をつくり礎石を据え柱を建てる。土台はない。柱は貫穴をあけて貫を通して連結し、楔で緊結して柱上部柄に軒桁を置き、勾配5寸の和小屋を組み立てる。小屋組に 垂木を置き野地竹を敷き並べて葺土を敷いて本瓦を噴き漆喰で継目を塗り固める。茅葺きの場合は転び勾配にし、茅は真茅か国頭地方産の竹を用いる。 床は床束、大引、根太、床板を順番に作り、外壁は2分5厘乃至3分の板を縦張りにして目板押さえをする。通気性を確保するため内壁は目板は使わない。 天井は一般的に棹縁天井が多い。なお、琉球王朝時代は士族および那覇の庶民(那覇は対外港であり、対外的見地から規制がなかった)以外の地域では瓦葺きは許可されず、瓦葺きが一般に解禁されたのは明治22年(1889年)2月で、瓦葺きのものは明治23年頃以後の建築がほとんどである。

沖縄戦後[編集]

伝統の木造建築は、沖縄戦後も建築されたが、湿害、白蟻等の虫害、台風による雨漏り等があり欠点が多く、復金(琉球復興金融金庫)の鉄筋コンクリート造に対する貸付があり、鉄筋コンクリート造の台風に対する安全性、耐久性から経済的であるとされたことから木造建築が敬遠された。また沖縄県は木材に乏しくチャーギオキナワウラジロガシイーク等以外はすべて県外から調達しなければならないので木造はコスト高であった。ただし、コンクリートは対暑性が悪いため、近年見直されている。