王 明山(おう めいざん、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の武将。父は王凌。兄に王広・王飛梟・王金虎。
王凌の末子で弓と書に優れた達人だった[1]。251年に父が司馬懿に対して反乱を起こして失敗して自殺し、兄ら三族も司馬懿によって処刑される[1](王凌の乱)。この際に明山のみは逃亡に成功して郷里の并州太原郡にまで落ち延びるが、そこで逮捕された[1]。以後の記述は無いが、恐らく処刑されたものと思われる。