松風閣 (金沢市)

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松風閣(しょうふうかく)は、石川県金沢市本多町の北陸放送敷地内の建築。旧広坂御広式御対面所

前田斉広(12代加賀藩主)の娘、寿々姫が天保5年(1834年)に本多政和(本多家9代当主)の室として輿入れの際に造営された広坂御広式の一部の御対面所である。御対面所と二ノ御間の境に見られる彫刻欄間は、藩に仕え木彫の名工として知られる武田友月の作と伝わり、豪華さを物語る。また、市内に残る加賀八家上屋敷の居住施設としては唯一の遺構である。また、斉泰が妹の輿入れのために造った極めて特別な建物である。寿々姫は輿入れから僅か7か月後に亡くなり、その後、広坂御広式も取り壊されたが、最も重要な御対面所だけが残され天保14年(1843年)に移築された。この時の移築を行った大工棟梁である竹下半次の名前が記載された棟札は現在も小屋裏に残り、附指定されている。明治19年(1886年)に本多家上屋敷が陸軍省用地に移管され、御対面所だけが中屋敷地に移築された。その後明治40年(1907年)に現在地へ移築された。外観は移築と増築に伴い改変されているが、内部は建築当初からの間取りや部材が残されている。幾度も移築保存されてきたことは、前田家と本多家の関係性を如実に表すものである。

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