東松山都幾川河川敷少年殺害事件

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東松山都幾川河川敷少年殺害事件(ひがしまつやま ときがわかせんじき しょうねんさつがいじけん)とは、2016年平成28年)8月22日埼玉県東松山市都幾川河川敷で発生した、14~17歳の少年5人による少年殺害遺棄事件。ほかに「東松山少年事件」「河川敷少年暴行死事件」などとも呼ばれている。

事件の概要[編集]

被害者となった比企郡吉見町の16歳の少年甲は、埼玉県立の定時制高等学校(以降、県立高校)を2015年11月に中退してからコンビニでアルバイトをするなどしていたが、2016年7月に解雇されたことで親と口論になって以降、家出を繰り返すようになり、別のアルバイトをしながらもしばしば知人男性の貸りる家に身を寄せるなどしていた。

甲は2016年5月ごろに、高校生時代の同級生で東松山市のB(当時17歳)を介して、同市のA(当時16歳)と知り合う。AとBは東松山市を拠点に活動するカラーギャングのチームのメンバーであった。Bは2016年春にこのチームに入るにあたって、中学生時代に同級生で部活動も同じであったAをチームに引き入れていた。また、Bは甲が中退した後に県立高校に転入していたほか、2017年に自らがチームのリーダーになる予定であったが、先輩にあたる人物らが引退するなどして人数が減るとの懸念から甲をチームに引き入れようと考え、Aとともに盗んだバイクを無理矢理買わせようとした。

しかし、甲がバイクの代金を払わないことに腹を立てたBは、甲に対して万引きや自動販売機荒らしを強要するなどし、これを拒むと暴行を加え金銭を巻き上げたほか、チームのほかのメンバーに暴行を加えさせたり、甲の吉見町の自宅周辺での待ち伏せやバイクによる暴走行為を繰り返した。この代金返済のために甲は知人に借金をしようとすることもあった。

事件前と事件発生[編集]

2016年8月17日、甲は友人と海に行くためにBにバイクを借りに行った。当初甲は5000円で借りるつもりであったが、Bは甲の財布から、入っていたほぼ全額に当たる16000円を抜き取ったとされる。しかし、この日は天候が雨となったため、海に行くことを断念。AとB、東松山市の中学生C(当時15歳)の3人らとともにスーパー銭湯へ行ったり、バイクに乗って遊んだ。甲はこの時の様子をツイッターで(Cと後述されるD及びEについて)「新しい友達ができた」と投稿していた。

8月18日、甲がBに対して悪口を言ったか否かで知人との意見が食い違い、後に甲が嘘をついていたことが発覚。東松山市内のラーメン店の駐車場で甲はBと知人に暴行を加えられた。このときはラーメン店の店主によって制止されたが、Bは「これで終わりじゃないからな」と甲に告げていたとされる。

8月19日、Bはバイクのガソリン代と称して甲から現金を巻き上げたあと、「根性を見せろ」と甲の手首に火のついた煙草を何度も押し付けた。午後8時ごろにBはスマートフォンで甲に対して指示しながら、東松山インター近くのコンビニで大量のパン、ジュース、酒などを購入させた。11時ごろに甲は友人に「帰りたいけど、足がない」と語っている。

8月20日、甲はCの家に身を寄せていた。このとき家にはAの元彼女、川越市の中学生E(当時15歳)ら複数がいた。深夜にLINEでBからメッセージが来た際に甲は「まただよ」とこのメッセージを無視した。

8月21日の夜、Bから呼び出された甲は「大宮にいる」と噓をついて呼び出しを拒否。それ以降のメッセージや電話に応答しなかった。一緒にいたAの元彼女をバイクで高坂駅まで送り届けた。

事件当日の8月22日、午前0時2分ごろに甲はAの元彼女に対してLINEで「好きになっちゃいました」とメッセージを送ったが、Aの元彼女は返信をしなかった。甲は2時3分に「わかったばいばい」とAの元彼女にメッセージを残している。その後の2時35分ごろ、東松山インター近くのコンビニで甲とCが目撃された。

同日深夜、BはAとCとともに、事件現場となる東松山市内にある稲荷橋付近の都幾川河川敷に甲を呼び出し、甲が到着すると「タイマンだ」と称して交互に殴り、AとCにも甲を殴らせた。このとき、Cは甲のわき腹を何度も殴りつけたとされる。さらにBは弟で東松山市の中学生D(当時14歳)とEを「煙草と携帯を持ってこい」と呼び出し、何も知らない2人が到着すると「お前らも見たから共犯だ。一発ずつやれ」と命令して、石で甲を殴らせた。さらに、衰弱した甲を全裸にし、「泳げよ」といって川に放り込み、Aも自発的に何ども川に顔をつけた。AとBが主導であったとされる。最終的に川に沈めたAの行為で甲は息絶えたとみられる。Cはスマートフォンでこの様子の一部始終を撮影していた。Eは甲がこのままでは危険だと感じ、Bを止めたが逆に甲を暴行するように命じられ、身の危険を感じたEは甲を一度蹴り上げた。最初はもがいていた甲であったが、次第に痙攣を起こし、白目をむいて動かなくなった。怖くなったDとEは、その場から逃げ去った。心臓が動いていないことを確認したAは水管橋のたもとまで行き、草をかぶせ、遺体を隠した

事件の発覚から逮捕[編集]

8月23日午前8時ごろ、前日に大雨をもたらした台風9号により都幾川が増水していたため、川で釣りができるか確認しに来た比企郡嵐山町在住の男性によって甲の遺体が発見された。

この男性の通報により駆け付けた埼玉県警東松山署の署員により遺体は回収され、司法解剖の結果、死因が溺死と判定された。なお、死亡したのが川に頭部を押し込まれたことによってなのか、台風による増水でか、はっきりしなかったが、調査を進めるうちに人的な行為であったことがわかる。

県警は、殺人事件として東松山署に捜査本部を設置した。

東松山署は最初にCに任意で取り調べを行った。これは事件後にLINEで「暴行した相手が死んだ」と伝えられたCの知人が嵐山町の交番に相談をしたためであった。Cはこのとき、「俺は動画を撮っていただけ。殺したのはA」と供述。一度帰された後、ツイッターに「俺が犯人って言ってる奴だれ?キモい」と投稿をして行方をくらました。

8月24日午前1時45分、Aが父親に付き添われ、東松山署へ出頭。捜査関係者に「甲を自分一人で暴行して殺した」と供述した。この供述をAが行った理由としては、Bが「本当のことを話したら、お前の家族がどうなるかわかっているんだろうな」とAを脅迫していたことが判明している。その後の追及でAは真相を供述し、8月25日に殺人容疑で逮捕された。B、C、D、Eについても翌26日までに殺人容疑で逮捕されている。

Bは事件後に、「甲と連絡取れなくてイライラしてる、家帰ったらすぐ連絡するって云ったきり連絡来ない」と友人にメッセージを送信して以降行方をくらましていたが、熊谷市内にいたところを捜査員によって身柄を確保された。

8月27日、東松山斎場にて甲の告別式が近親者のみで執り行われた。

審判と裁判[編集]

9月14日、さいたま地方検察庁は、BとEを傷害致死の非行内容で、さいたま家庭裁判所に送致した。検察は「殺意は認められない」として殺人としなかった。翌15日にはA、C、Dについても傷害致死を非行内容としてさいたま家裁に送致した。さいたま家裁は5人を観護措置として身柄をさいたま少年鑑別所に移した。

10月11日、さいたま家裁(伊藤敏孝裁判長)は、DとEを初等・中等(第1種)少年院送致とする保護処分を決定した。また、Dについては「比較的長期間の収容」との処遇勧告を付けた。決定で伊藤裁判長は、重大な非行で「刑事処分も考えられる」としたものの、2人が「共犯少年(B)から呼び出され、暴力を振るうことを強く促された」と従属的な立場だった点を考慮。Eについては「暴行をやめさせようと試み、手加減も加えた」とし、「刑事処分よりも矯正教育が必要」と判断した。

10月12日、同家裁(同)は、Bを検察官送致とし、Cを初等・中等少年院送致とする決定をした。Cについては「相当長期間の収容」との処遇勧告を付けた。伊藤裁判長は、Bについて「年長で、最も発言力が強く、ほかの共犯少年らはその意向を無視できなかった」と、5人の中で主導的な立場だったと指摘。内省し成育歴に同情すべき点があることを考慮しても、遺族感情などを酌み「刑事処分以外の措置を相当と認めることはできない」とした。 Cについては「被害者がついたうそを共犯少年(B)に暴露して(暴行の)発端を生じさせた上、危険な暴行を加え、関与の程度が大きい」としたものの、15歳という年齢などを考慮し更生の可能性があると判断した。

10月21日、さいたま地検は、Bを傷害致死罪でさいたま地方裁判所に起訴した。

11月8日、さいたま家裁は、AをBと同じく検察官送致とする決定をした。決定理由で伊藤裁判長は、「被害者の顔を水に沈めるという溺死に直結する暴行を行った。事件の発覚を免れようとして、反応のなくなった被害者を人目のつかない場所へ運んで草木に隠すなど、最後まで積極的に関与した」と指摘した上で、Bに次ぐ年長者という立場であり、特段の指図を受けることなく、自らの意思で一連の行動を行った点も考慮し、遺族感情なども酌み「刑事処分以外の措置を相当と認めることはできない」と結論付けた。

11月17日、さいたま地検は、Aを傷害致死罪で、さいたま地裁に起訴した。先に起訴されたBとともに裁判員裁判として審理されることになった。

それぞれの人物像[編集]

被害者の甲は中学生時代にはバスケットボール部に所属し、明るく優しい性格で誰からも好かれる少年であった。

Aと甲は互いに違う県立高校に進学した。Bと甲は同じ高校の同級生だったが、退学している。AとはともにSTUSSYを愛好していることから出会ってすぐに意気投合したとされる。Aは幼少のときに両親が離婚をし、実の母とは離れて暮らしていたという。実の父と兄に加え父の再婚相手、その連れ子にあたる義理の妹との5人暮らしだったものの、継母と妹とは相性が悪く、一言も話さない日々が続く。周囲にも、このふたりについては、最低で最悪な母子だと触れまわっていた。その後、裁判において、継母の身体的な虐待があったと発表、ハンガーや、いすで激しく殴る暴行が、小学校に入学してから毎日繰り返されていた。義理の妹は、継母のスパイ的な役割をしており、終始、継母の監視下にあったとみられる。実母はAが幼い頃、男性と共に失踪、のちに新しい家庭を築いており、Aは孤独を深めた。中学校まではサッカーに熱心で、比較的大人しく、教師と言い合いになることはあったものの、喧嘩やいじめをすることはなかったという。8月23日の裁判において、弁護側は、継母からの日々の虐待と実母からのネグレクトによる、判断能力低下、持病の1型糖尿病を理由に医療少年院保護措置を希望、裁判所、検察は、進んで暴行を働く体力もあり、独断で指示を受けることなく、犯行におよんだことから、判断能力はあったと棄却している。


Bは甲とは別の定時制高等学校に在籍していたが、少年院に送致される事件を起こしていた。少年院退院後にカラーギャングに参加し、高校は甲の通っていた県立高校に転校した。母親が元暴走族で覚せい剤取締法違反での逮捕歴もある。弟のDを含め兄弟はすべて異父兄弟で、両親がいないことが多く祖父母が兄弟を育てていた。父親は暴力団。幼少期から他人の家に上がり込み、冷蔵庫の中を物色するなどしていたという。小学校高学年ころから、友人宅のゲーム機を盗むことや万引きを行うようになり、中学2年あたりから、喫煙やゲームセンターで同じ中学生に「金持ってんの?」などと脅して現金を巻き上げようとする行為を行ったり、バイクを盗んで乗り回すといった非行を繰り返すようになったといい、当時同居していた母親の交際相手からは「あまり早く帰ってくるな」といわれていたとされる。この交際相手は兄弟の末っ子の父とされる。 7月の裁判員裁判において、求刑6年から10年を求刑 されている。 判決、6年から9年の不定期刑

Cは事件当時保護観察中であった。小学生時代はバスケットボールのスポーツ少年団に参加していたが、中学生になってからは非行が目立つようになり、担任の教師から「学校に来るな」と言われたとされる。


Dは兄のBとは異なり目立った非行はないものの、Bと親しいCとは中学校で同じ学年でありEともかつて同じ学年だった。Bのチームのメンバーとは知人の関係であり、Bの命令に従わざるを得なかったとされる。

Eは父子家庭であったが父親が愛人とともに失踪し兄弟とともに祖母に育てられていた。以前は暴走族に所属していたが、猫を殺して解剖したことが発覚して暴走族を破門されていた。出所後は 引き取り手がなく、施設に入所となる

出典[編集]

以下の出典において、記事名に被害者甲の実名が使われている場合、この箇所を甲とする